「小春日和」・「楽しむ」


雨の土曜、雨上がりのポカポカ陽気の日曜、月曜と目まぐるしく天気の変わった週末から週明けだ。今月の初めに三好丘バス通りのアメリカ楓(ふう)の並木の紅葉を日記にアップした。あれから10日経ったら随分と紅葉も色鮮やかになった。歩道橋の上から再度カメラにおさめた。


好天が続き、葉が日光を十分に受けている。最低気温8℃以下の日が続く。昼夜の寒暖の差が激しい。こうした、美しい紅葉の条件が揃ってきたのだろう。おとなの手のひらくらいの大きさのアメリカ楓(ふう)の葉っぱが雨上がりの歩道にべったり貼りついている。


こんなポカポカ陽気だと脳裏をかすめるのは ♪うす紅の秋桜が秋の日の で始まり ♪こんな小春日和の穏やかな日は と続く山口百恵の歌う「秋桜(コスモス)」の一節だ。最近、この「小春日和」という言葉を聞いたり読んだりすることが少なくなったような気がする。


ブログを始めた9年前の頃は、この時期になるとよく見聞しブログのカキコの中でも使った記憶がある。あまり使われなくなると、その言葉の持つ本来の意味が間違って受け止められてしまっているかもしれない。自分自身不安になって辞書で調べると「晩秋から初冬にかけて現れる穏やかな暖かい晴天。小春とは旧暦 10月のことで,太陽歴では 11月から 12月上旬にあたる。」とある。こんな美しい言葉、もっと使われてもいいと思う。



けさのテレビのニュース。大相撲九州場所、きのう無傷での勝ち越しを決めた白鵬の談話を伝えていた。「楽しみたいね。1週間」。この「楽しむ」に違和感を覚える。最近、スポーツ選手はインタビューでよくこの言葉を使う。高いカネを払っておまえらの楽しんでいるところなんか見に来たんじゃない。鍛えに鍛えたプロのワザを真剣にやる姿を見に来たんだ。それを、楽しむとは何事だ。


へそまがりのクマさんだけが感じる違和感かもしれない。だけど、国技相撲道の頂点に立つ者の言葉としては、どう考えてもふさわしくない。なめンじゃないぞ、相撲道を。ただ、云えることは「楽しむ」という言葉の中に最近は、ワクワクする、アッい、エキサイティングな、と云ったような意味も含めて使うという傾向があるかもしれない。横綱だけは、このような軽薄な意味合いでの言葉を使うべきではない。


「小春日和の書斎にてパソコンにむかひて心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば」こんなことだ。