「遊び」


「さざんか梅雨」も夜半には上がって、雲が少々多いが概ね晴れとなった。この雨のせいか、秋色がいちだんと満ちてきた感じだ。公民館のモミジもあかね色に近づいてきた。逆光で写りはよくないが間違いなくあかね色だ。



市の文化センターで老人芸能大会。わが地域の出し物は男女28人の混声合唱。「みかんの花咲く丘」と「上を向いて歩こう」だ。「やむを縁」世話役と出演だった。市長が元教育者らしく挨拶の中で、「共行(きょういく)」「共用(きょうよう)」「共生(きょうせい)」の三つの言葉を大きな紙に書いて、それを説いていた。というよりは、お節介をやいていた。



他事を考えていたんでどんな内容の話か知らない。会場に集まった700〜800人の高齢者たちは、「きょう行く所」もあり「きょう用」もある人たちばかりだ。みんな「遊び」上手なのだ。そういう人たちにはお節介はいらない。いらんお節介だ。  


「勤労=善」「遊び=悪」の教えで育ち、「・・・すべきだ」「・・・すべきでない」そんな流れの中で生きてきた。ただひたすら働いて来て、リタイヤー後いざ遊べと云われても「遊び」方もわからないで、そういう人に限って真剣に「遊ぶべき」と考え込んでしまうのではないだろうか。挙句の果ては引き籠ってしまう。そういう人たちにこそお節介が必要なんだ。


「・・・すべき」に支配されずに、したい時にしたいことをする。これがわれらサンデー毎日族の特権なのだ。たとえ「やむを縁」で参加しても、回を重ねる内に「したいこと」になって行くことだってあるのだ。とにかく「自分で考えて」「自分から動く」ことなんだ。市長のわけのわからん話がこんなことを考えるヒントを与えてくれた。