学者先生の講演

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雪と寒風続きで「しばらくウォーキング休みましょう」とご近所さんふたりからカミさんにメール。「あの人たち根性ないわねぇ」と云いながらも、自らもほっとしているカミさん。ぐうたら夫婦にとっては、このところの寒風はまさに”神風”だ。「あさが来た」を見終わってもコーヒータイムしながらゆっくりできる。


ただ、日本経済に吹きまくっている寒風だけは、どうにもおさまりがつかないようだ。不透明な中国経済円高原油安などがのしかかる。株価も年明けからの下げがなかなか止まらない。こんな事になることを予想した人はいるだろうか。経済学者でもできないだろう。麻雀しながらの会話だ。



学者に予想屋をさせるのはどだい無理な話だろう。5年ほど前にこんなことがあった。高校の同級生が天皇家御用達の大学で経済学部の教授をしている。出身地多治見の信用金庫が招いて経済講演会を開いた。聴きに行った同級生がなんとも面白くない話だと酷評した。その教授次のようなメールで返事してきた。


(前略)講演とかセミナーとか何百回とやってきましたが、皆が満足する内容などありえず、また、話を受身で聞いて、自分が儲かるなどといったことは、市場経済ではまったくありえないこと、そこで、「面白い、しかし、信頼できない」金儲けのための評論家の類の話は絶対したくない(中略)、ネガティブ・コメントをする参加者がおられれば、面白おかしい違ったタイプの講演会を選んでもらう以外ありません。



また、こんなこともあった。生涯学習講座「時事問題」、名古屋の某大学経済学部の先生の「日本経済の現状と今後の課題」。冒頭に「経済学者は起こった経済現象に対してどうしてそうなったかを解析することは得意だが、その先どうなるかなどと言うことは不得意。そのつもりで聞いてください」予防線をはられてしまった。
                  

学者先生をワイドショーに出てくる評論家や予想屋と同一視するわれわれが間違っているか、講演を引き受けた以上聴衆に見合った話をする柔軟性を持ち合わせない学者先生の資質の問題なのか?