自分史 中学時代


終日の雨。この雨が春を呼ぶ雨であってほしい。


きょうの日記は、いま手がけている「自分史」からの一節だ。中学時代の生活ぶりを振り返ってみた。誰かに読んでもらうとかではなく、「来し方を振り返りつつ前に進むボート漕ぎ」そんなつもりで書いている自分史だ。


昭和29(1954)年多治見市立平和中学校に入学した。(中略)生徒会の役員もした。この頃ついたニックネームが、熊=ベアーで「べー」とか「くまちゃん」だった。後者の方は、社会人になっても引き続いていた。今回の自分史のタイトルもそれを引き継いでの「クマのあしあと」とした次第。




私は小学校から大学までを通じて学校で「君が代」を歌ったことがない。特に、中学校で「原爆許すまじ」「若者よ」やロシア民謡など左翼系の歌を随分教えられた。(中略)この年になって、「君が代」が歌詞カードを見ないと歌えず、中学生の時教えてもらった左翼系の歌をそらんじている自分が恥ずかしくてならない。長じて、反共思想が芽生えたのはこんなところにあるかもしれない。



子どもの頃から周囲からこんなことを云われていた。「本屋の倅はいくらでも本を読めるからいいなぁ」それに対してこう答えていた。「酒屋の倅に下戸が多いとか饅頭屋の倅があんまり饅頭を食べないと同じ事だよ」と。次々と新しい本に目移りして結局じっくり本を読むなどということはあんまりなかった。                


小学校高学年から中学生の頃は夜枕元で見る月刊雑誌が大概決まっていた記憶だ。「野球界」「ベースボールマガジン」「鉄道ファン」「鉄道ピクトリアル」。ドラキチ、鉄ちゃんはこんなところで芽生えていたのだ。