55年前の写真


終日曇り空が主役。いつ降り出してもおかしくない陰鬱さが漂う一日だった。ぼやけたような空には寒ボケが似合いだ。


自分史をボチボチと書いている。大学時代の写真を整理していたら夏休みにやっていた貧乏旅行の写真が出てきた。2年生から4年生まで毎年やった。同行するメンバーと事前にルールを決めていた。国鉄の均一周遊券を使う。宿泊場所は知人宅、お寺、学校、バンガロー、山小屋、駅または列車とした。周遊ルートで意見が分かれたら互いを拘束しない。



2年生の昭和36年(1961)は11日間東北一周、3年生の昭和37年(1962)は九州一周、4年生の昭和38年(1963)は四国一周だった。4年生の時は自分は6月に就職が決まり、他の同行予定者ふたりが就職が決まらず、単独行になったが、他の年は2人と3人の同行者があった。思い起こせば、今の旅行好きはこの学生時代に仲間との旅行を仕切っていた頃から芽生えていたのだろう。



東日本大震災も来月で5年を迎える。学生時代の貧乏旅行で訪れた岩手県田老町(現在は宮古市と合併)の万里の長城を彷彿させる巨大な防潮堤は印象に残っている。明治と昭和の初めの大津波で大被害を受け出来たものだと聞いていた。テレビで見た。今回の震災では津波が10mの高さを誇る防潮堤を越え、東の方向では津波で破壊され、内側の集落は壊滅的な被害を受けた。



貧乏旅行の時田老海岸の岩の上で土地の子どもたちと一緒に写真を撮った。いまだに住所を覚えている。岩手県下閉伊郡田老町 田老小学校」写真を送って礼状ももらった。その写真が出てきたのだ。その子供たち、津波で無事だったろうか?元気ならもう還暦を過ぎているだろう。この写真を撮って今年は55年目になる。