「光の春」あれこれ


フルメンバー5人が揃っての久しぶりのウォーキング。0度そこそこの最低気温。雲が多いながら概ね晴れの一日。風は冷たいが、三好丘田園地帯の枯れた景色の中にも、そこかしこでようやく梅の花が咲き始め春を予感させる姿が目に入るようになった。



節分の日に「光の春」と題したカキコをした。季節の変わり目で差し込む日差しにも”鈍さ”から”鋭さ”が感じられるといったカキコだった。いわば、「光の春」のファーストステージだった。先だっての日曜に春一番が吹き、あさっては二十四節気の「雨水」だ。空から降るものが雪から雨に変わり、氷が溶けて水になる時季ともなれば、草木が芽生える頃だ。庭にクロッカス、サクラソウ、ノースポール。野に梅の花で「光の春」もセカンドステージだ。


ファーストステージでは日照の”輝度”だけの変化だったが、セカンドステージでは日照の量の変化も加わり質そのものが変化したと云えよう。「光の春」は春の息遣いの原動力だといえよう。動物や植物の中には、気温の上昇より光に反応して冬眠から目覚めるものがほとんどでないだろうか。人が寒さに震えていても、芽吹きや、花を咲かせて春の到来を知らせてくれる。これこそ「光の春」だ。



一口に「光の春」といっても、金沢と名古屋では感じ方の質が違うのではないだろうか。金沢では連日厚い雲に覆われ日照がなかったが、冬型の気圧配置が崩れて、日照そのもの量が増えたことに「光の春」を感じるだろう。名古屋では日脚も伸び、太陽の高度が高くなって陽射しが強まった、つまり日照の質の変化に「光の春」を感じるだろう。
「光の春」、春まだ浅いこの時季、繊細な季節感がこめられた言葉だ。