竹の秋


弥生3月の声を聞いたとたんに冬に逆戻りの感だ。朝から冷たい風が吹き荒れている。せっかく咲き始めたクリスマスローズ、いつもうつむき加減で咲いているがこの寒さで、なお頭を下げている。写真を撮るために頭を持ち上げてやった。


「青春とは人生のある時期ではなく、心の持ち方を言う」は、サミュエル・ウルマンの「青春」という有名な詩の冒頭の文章だ。この論の展開を借りると「秋とは夏の次、冬の手前の季節をいうのではなく、季節に関わらず収穫時期を言う」となる。



いったい何が云いたいのだ?いま、家から見える、あるいはウォーキング時に見る竹藪が黄色く見えるのだ。こんな現象は今に始まったことではなく太古の昔からだと思う。気がつかなかっただけだろう。ネットで調べた。
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これは竹が黄葉し始めたということらしい。黄葉している葉は、1年間の働きを終えて枯れ、落葉しようとしている葉なのだ。黄葉している葉の付け根の小枝からすでに新しい葉が針状に伸びてきており、この新しい葉は黄葉している葉が落ちるとほゞ同時に開き、同化作用を始める。竹が黄葉して落葉する時期が筍の収穫の時期なのだ。こうした時期が「竹の秋」といわれ晩春の季語にもなっているという。



一方麦秋(ばくしゅう)という初夏の季語がある。麦の穂が実り、収穫期を迎える初夏の頃のことである。麦にとっての収穫の「秋」であることから、名づけられた季節だという。そんなことから、「秋」というのは単に夏の後に来る季節をいうだけではなく、季節に関係なく収穫時期を言うこともある。そうだ。


いつになく黄色い竹藪の意味が分かり、ウルマンの詩にひっかけたクマさんのお粗末な言葉遊びでした。