「天城越え」から思ったこと


きのうまでの強風も落ち着き、日差しに温もりが感じられる日となった。


メイちゃんパパさんのきょうのブログは新東名延伸開通にちなんで富士山一周ドライブ旅行記のカキコだった。雨傘用スケジュールで川端康成松本清張の小説で描かれた天城峠越えをされたという。川端康成の名作「伊豆の踊子」の主人公は旧制高校3年の20歳。やがて帝国大学に進む立場だ。高校の制帽と紺がすりの着物で旅に出たのだ。



その当時の学制は中学5年、高校3年、大学3年。社会に出ると23歳以上だ。同世代の大半が幼くして働いている中で、こういうゆとりある青春期が将来役に立つと世間も認めていただろうと思える戦前のエリート青年像といえるだろう。


翻って、いまの大学生にそうした余裕はどれだけあるだろう。きのう各メディアが一斉に流していた。3月1日「就活の春」が始まった。と。リクルートスーツで会場に集まった若者は、大学に入って2年あまり、21歳くらいだ。4年間じっくり腰を据えているのはスポーツ選手と大学院志望者だけになってしまいかねない。




半世紀前の我が身を振り返ってみる。先日「自分史」で書いたばかりだ。大学2年生のときに、就職は地元企業にとは決めていた。高度成長時代、しかも卒業する年が東京五輪、同期入社が60数名でおそらく歴代トップの大卒採用者数だったと思う。「就活」といえば、銀座にあるM社東京事務所へ4年の春に受験申込に行ったくらいだ。そんな記憶だ。



天城山隧道」越えから話が飛躍してしまった。悠揚たるたたずまいの戦前の旧制高校生、高度成長期時代のわが就活、いまの大学生の就活事情を比較してみると、多くの議論の余地はあるものの「大学6年制」というのも、あながち極論ではないだろう。