防犯カメラについて思う


薄い雲に覆われた空からは柔らかな日差し。風も穏やか。快適な農作業日和だ。いつのまにか、畑には例年の如くスミレが顔を出している。どこから種が飛んで来たのか、球根が何かと一緒に運ばれて来たのかハナニラまで咲いているのではないか。畑のまわりにも春が来た。


三好丘地区は約2万人の人口。この中に6つの行政区がある。わが住まいはこの中のひとつ三好丘緑で約2900人の人口だ。他の5行政区すべてで地域に防犯カメラを設置して、わが三好丘緑だけが取り残されていた。この前の日曜に地域の年次総会があり、遅ればせながらその設置費用の予算が承認された。監視社会は好ましいと思わないが、これも時代の要請でやむを得ないだろう。



米国では子どもを一人だけにすることは法律で禁じられているそうだ。そして、通報制度があって子どもを一人だけにしていると通報され罰せられるそうだ。米国籍を取って、フロリダ在住の三女の友達が里帰りしてこんなことを云っていた。                                       

       
ガソリンスタンドがプリペイド式のセルフなので子どもを車に乗せたままスタンドの事務所にプリペイドカードを買いに行っていたら通報されたと嘆いていた。地域社会が住民を見張りあう相互監視体制、どこかの独裁国家を彷彿させる。



そうはいっても、わが国でもいたるところに監視カメラがあって自分の知らないうちに記録をとられている。駅で、コンビニで、銀行のATMで。監視カメラは犯罪者だけを監視しているわけではない。何の許可もなく善人、悪人の区別もなく老若男女の一挙手一投足までこっそり監視され記録されている。


たった一人の悪人のために何百万、何千万の人間の人権を無視するようなことをしなければならないかと思う反面、相互監視体制や監視カメラは犯罪抑止のための必要悪と割り切らなければならないのかとも思える。防犯ボランティアをしてるからなおさらのことだ。