老人クラブ


強風は多少おさまったものの、花冷えのするきのうきょう。それでも、四つ池の水辺の早咲きの桜は、やせ細った木ながら周囲の枯れ木を圧倒するかのように凛とした存在感だ。この寒さだから、今年の桜は開花から満開までの期間が長いとお天気キャスターが予想するのもうなずける。



四つ池の道路沿いの並木はソメイヨシノだ。きょう開花宣言だ。風当たりが少なく、日当たりのよい木で数輪咲き始めた。暖かな日和が戻ることを願い、ウチから花見ができる日を待とう。


いよいよ、きょうからプロ野球が始まった。オープン戦同率最下位のドラゴンズ。タイガース相手に5−2で勝ったじゃないか。幸先よしだ。




老人クラブに関って、もう10年になる。最初の3年連続と今年度で4回目のお役のご奉公だ。あさっての総会でお役御免だ。色々と思いつくことがある。その最たるものが、名前からくるイメージ。「老人クラブ」なんていうと老人ホームで車椅子に乗ったおじいさん、おばあさんをイメージする。そんなことを思いながら10年経ってしまった。


65歳から入会資格があるが、テニスやスキーをやって飛び跳ねている連中が「何でおれが(わたしが)としよりクラブなんかへ入るの?」となる。 こんな状況だから去年も今年も地区で65歳になる人が10人ほどあったが入会するのはゼロだ。



これだけ高齢化社会になり、65歳から老人と定義づけしても老人の範疇に入る人の幅が壮年の延長線上の者から老人ホーム入りの者までもある。 老人福祉行政もさることながら、クラブの運営方法も時代の流れに沿ったものに脱皮することが必要だ。


働ける間は働きたい者、第2の人生は自分のやりたいことに熱中したい者、バランスよいライフスタイルを計画実行している者、人と関わることが苦手で引き籠る者、病気がちの者など第2の人生模様は多様だ。こういう中で何とかしなければと立ち上がる人はいない。


自分がしなくても誰かがやってくれる。役の任期中従来と同じように大過なく勤めれば・・・。自分がそうであるように脱皮が必要と思いながらも自ら乗り出す者もいない。他人から強要されてすることでもない。それより、自分の残り少ない人生の方を優先なんだ。クラブの改革が生き甲斐だという者にやってもらえればいいじゃないの?これが、偽らざる心境だ。