墓じまい


うららかな春の日が続いた週末から一転、日差しはあるものの冷たい北風の吹く週明けだ。こんな日があるから、まだまだストーブやこたつを片付けるわけには行くまい。


きのうの日曜、市内中心部に住むパソコン教室仲間のお屋敷でオープンガーデンに併せガーデンコンサートがあった。先代の築いた100坪はゆうにある日本庭園に自分の手で洋風ガーデンを融合させた庭だ。築山が特設ステージになって、ギター、マンドリン、フルートの合奏で「あさが来た」のテーマソングをはじめ、馴染みの歌ばかりの演奏があった。心のほんわかする日曜だった。



今、地方の墓の守り手が減って墓の無縁化が社会現象になっている。この問題の根底にあるのは家制度の崩壊だろう。これは決して他人事でなく、現に自分が直面している。


自分の先祖の墓は岐阜県御嵩町にある。多治見にいて墓を守っていた長兄はおととし他界。その嫁は茨城県つくば市の長女の許に。次兄は東京在住。要介護の状態。長姉は東京。長兄の長男は山梨の甲府在住。多治見へ戻る気はまったくなし。彼はおととし亡くなった父親である長兄の墓をどこにするかも決めかねている。一番近くにいる自分だけが、年2、3回墓参を兼ねて墓掃除をしている。これができるのもあと2,3年のことだろう。



戦前は、先祖代々一家がまとめて一つの墓に祭られ一族のつながりや自らのアイデンティティを確かめる場になっていたと思う。ところが、戦後都会に人が集まり核家族化が進行して、墓に対する考えも一変した。人口が流動化して、生まれ育った場所で死んでいくというライフスタイルの人が少なくなってしまったのだ。


墓にはふたつの機能があって一つは遺骨を納める場所二つ目は残された者が死者と対峙する場所。このように割り切れば先祖の墓は墓じまいして多治見の檀家寺で永代供養にすればと長兄ファミリーに提案。墓じまいする手続きや見積もり、永代供養の費用を調べて連絡してやった。



自分は檀家を引き継ぐわけには行かない。娘3人で跡継ぎがいないことや、決心がつくまでに長くかかるようだったら、その間地元石材店で墓参代行サービスを1回15000円でやっている旨の紹介まで付け加えておいた。


伝統的な家制度の問題であり、魂の領域に踏み込む問題であるだけに、理屈でわかっていてもなかなか割り切りが難しいのだ。