原爆投下に対する謝罪


週末は夏日が続くも日曜の明け方から昼前までは前線の通過で嵐のよう様相。天気予報の中で「夏」の字がちらほら顔を出すようになった。それにつれて、野に庭に咲く花もそれらしい顔を見せてきた。庭に牡丹が咲いた。まだ一輪だけだ。嵐のときには懸命に風雨に耐えていた。


ウォーキングコース沿いの林の中に分け入ると、地域の人、知る人ぞ知る筍の宝庫がある。その宝庫まで行く途中が、いまカラフルで鮮やかだ。藤とアメリハナズオウ花桃だ。



先週広島で開かれたG7の外相会議の際メンバーは平和記念公園を訪問した。それに関連して新聞やテレビでは原爆投下に対する米国の世論調査の結果が話題になった。戦争を早く終わらせるためには原爆投下は正しかったとする米市民平均では56%だが、低年齢になるほどその率は下がっているとのことだった。


かつて日記にカキコしたことがあるが、6年前の3月にサイパン島に行ったときのことが思い出される。バスでは入れないようなジャングルの中まで自家用車で案内してくれるツアーガイド。彼は60歳前後の日本人男性。正確に言えば鹿児島生まれの米国籍。グリーンカードを取得して米国市民権を得たおじさん。



B−29が原爆を搭載したピットを見学したときこんなことを語った。広島と長崎の原爆により日本は本来ならもっと長引く戦争から早く解放された。そして、朝鮮のように分断国家にならなくてすんだ。と。                 


生粋の米国人が戦勝国の論理で語るのなら、そんなものかと不承不承ながら悔しさをかみしめる。ところが、彼は米国の市民権を持っているからと言って米国人ズラをして同胞に向かってそこまで言わなくてもいいものをと思いながら後味の悪いテニアンツアーだった。



現在のことに話を戻そう。原爆慰霊碑への献花に先立って行われた日米外相会談で、米国から謝罪がなかったと不満を表すような論調の新聞があった。米国にしてみれば、世論調査の結果が示すような状況下で、のこのこと日本にまで出かけて謝罪すれば政権がどうなるかは自明のことだ。するわけがない。


そもそも謝罪なんていうものは、相手から謝れと云われてするものでない。すまないと思えば自発的にするものだと思う。中国や韓国と、いつまでも過去のことで謝罪外交をしているのとは違って米国とは未来に向けた外交関係であるべきだろう。