三菱自工の不祥事に思う


週末から週明けのきょうまで、うす雲が広がる程度で穏やかに晴れて快適な陽気が続いている。ご近所さんとの毎朝のウォーキングも時には趣向を変えようとなり、喫茶店でモーニングをして三好池まで遠征した。


黄砂混じりと思われる鈍い日差しを浴びながら、水面から新緑の遊歩道に吹いてくるそよ風が頬に心地よい。一周4.5kmのコースも苦にならず、難なくクリアー。


またまた、三菱自工が世間を騒がせている。2000年のリコール隠し、2002年のタイヤ脱落事故に続き今度は燃費試験に使うデータに対する不正行為だ。詳細は報道の通りとして、事件の起きる背景が自分のサラリーマン人生の中で経験したことと重なる部分がある。そんな切り口で事件の背景を考えてみた。



自分が入社して2年目昭和41年に出向した金沢の会社は、長い労働争議で何ともならなくなった会社をM社が昭和37年に経営参加し、先に出向していた先輩たちがほぼ収束させた時期だった。当時、名古屋から出向して行った者は現地の従業員から”進駐軍”と呼ばれていた。                                 


現地従業員にはいくら一生懸命働いても儲けも会社の主要ポストも進駐軍のものといった風潮がまん延していた。これでは、従業員の士気が上がるはずはなかった。名古屋からは「自力で建て直せ」の一点張り。先輩出向者たちの地道な労務対策が実り、昭和54年には配当する会社にまでなった。



世界に冠たるスリーダイヤ三菱に名古屋のM社を引き合いに出すのは誠に僭越だが、イニシャルMのよしみで出させてもらおう。戦艦武蔵も零銭も戦車もみんな三菱重工、同社は国家的な企業としてみんな強烈なプライドを持っていた。そこから分離された自工マンにしてみれば、巨大な船やロケットをつくる本流の重工から比べたら分離された上おもちゃを作るような自動車つくりといったコンプレックスはなかっただろうか。


自工マンのコンプレックス体質が金沢の会社の従業員の「駐留軍に占領された意識」その体質に重なるところがある。両者相通じるものは「負け犬根性」と云えるだろう。従業員の「負け犬根性」を正すのも歪んだままにするのも経営幹部の体質しだいでないだろうか。

                                                  


自工は経営不振に陥れば御三家(重工、商事、銀行)に助けてもらえるという経営幹部甘えの体質、無責任体質が「負け犬根性」を正すことなく相次ぐ不祥事を生み出したのではないだろうか。金沢の会社は親会社であるM社から「自力再建」の檄だけで手を差しのべられることはなし。経営幹部は体質改善に奔走した。それでも、経営参加から配当まで17年費やした。


一事が万事そうだとは言い切れないが、片や名門中の名門の大財閥企業の親会社、世間体があるから波風は立たせたくない。そんな力が働くだろう。もう一方は名古屋でこそ名の通ったローカル企業。お殿様のようなことは云っておれない。そんな差の出たケースではないだろうか。