さまざまなこと思い出すポッポかな


夜半に降った雨も朝には上がって日差しが戻ったが、はっきりしない天気のまま一日が過ぎた。午後からは蒸し暑くなって夏の入り口を予感させる。


庭の片隅にアルストロメリアが咲き出した。この花随分と大仰な名前がついている割には地味で、控えめで庭の主役を張るには少々役不足のような花に思えてならない。ウォーキング中によく見かけるが、たいてい庭や畑の片隅で添え物のように扱われている。自分だけの思い込みかもしれないが、アピールポイントが見当たらない花だ。


花びらにあるこげ茶色の斑点がアピールポイントでないかと主張する人がいるかもしれないが、あれは人様ではなく虫にアピールしているとしか思えない。花の中の蜜腺に昆虫を誘導して、昆虫のからだの決まったところに花粉をつけるためのものだ。器量はよくないが、丈夫で長持ち。強いて言えば、これがアピールポイントと云えるかもしれない。



社会人になって、多治見から名古屋まで通勤するには蒸気機関車が引っ張る中央線を利用していた。入社して2年目の昭和41年(1966)7月に名古屋〜瑞浪間が複線電化された。皮肉なことに、その年の6月に金沢赴任となったので
複線電化開通フィーバーを体験しなかった。


真夏の通勤は過酷だった。多治見から名古屋に向かって二駅目の定光寺までの間に10いくつものトンネルがある。窓を開けていたら煙が入るから閉め切りで蒸し風呂状態だ。よく我慢したもんだ。


この写真は多治見から中津川方面へ最初のトンネル、虎渓山トンネルに入ろうとするSL。中学1年のとき、スタートカメラを買ったうれしさで、こんな所まで行って撮ったものだ。ここは、相当な急こう配で、編成の長い貨物列車は多治見駅から編成の最後部に機関車を連結して後ろから押して峠を上っていた。峠を上り切ったところで、最後部の機関車は連結を離して、1両だけで多治見駅まで戻っていた。



受験生当時、虎渓山の麓にある離れで暮らしていた。朝型の受験勉強だった。毎朝4時半頃だったと思う。多治見駅を出発する貨物列車。先頭のSLが出発合図の汽笛を鳴らすと、最後部のSLがそれに呼応して汽笛を鳴らす。家の近くを長い編成の前と後ろでSLがあえぎながら登って行く。姿は見えないが音で想像できる光景が繰り広げられていた。しばらくすると役目を終えた「押し役」のSLが滑らかな走りで帰ってくる。


そんな時間になるとラジオから「大学祝典序曲」のテーマ曲が流れ、旺文社の大学受験ラジオ講座が始まるのだった。   「さまざまなこと思い出すポッポかな」