億とは無縁のみみっちさ


朝晩は空気が冷たく感じられ、日中はカラッとした晴天の一日だ。6月といえばじめじめとした天気をイメージするが、そんな梅雨時のイメージとはまるで無縁の天気が続いている。


東京府中市で偽の白バイ警官が、本物の札の入ったジュラルミンケース3個をあっという間に奪い去った「3億円事件」が起きたのは昭和43年だ。結婚の年だからよく覚えている。何より桁外れの金額に衝撃を受けた。その事件からおよそ10年後に、東京銀座で1億円入りの風呂敷包みを拾ったトラック運転手が、その後落とし主が現れず、手にした。その後の彼の生き様が色々話題を呼んだ。




宝くじの1等賞金をネットで調べてみた。3億円事件のあった昭和43年(1968)は1千万円。1億円拾得事件のあった昭和55年(1980)は3千万円。ちなみに1億円になったのは平成8年(1996)。20年前のことだ。3億円事件や1億円事件の起きた当時の日本人は、「億」という感じを「日常生活からずっと向こうにある計り知れないほどたくさんの」とぃった意味で捉えていたと思う。


「億」を日常生活に近づけたのはバブル経済だっただろう。億のカネに驚かなくなった。きのうの新聞では、大阪で会社を経営する80代の女性が約5億7千万円の詐欺にあったことが出ていた。全国のコンビニのATMで14億円が不正に引き出されていることも出ていた。


舛添知事の政治資金は、回転寿司店での飲食費や子どものパジャマ代にまで化けている。億単位とは無縁のみみっちさが、かえって庶民の関心を呼んでいるのではないだろうか。「6月、梅雨、うっとおしい」のイメージとは無縁のきょう天気が余計に清々しさを感じさせるように。