あげること もらうこと


梅雨入り宣言を聞いて2日目のきょう、もう中休みだ。ひょっとしたら、宣言のフライングかもしれない。きのう6月5日は二十四節気芒種(ぼうしゅ)だった。稲や麦など"穂が出る穀物の種を蒔く"という意味らしい。農家でない我々には、梅雨に入る頃と云われた方が、ピンとくる。



こうした季節の移ろいを”適度に都会で適度に田舎”の地に住む我々は、ウォーキングの際に雨が近いと水田の上を地上すれすれに飛び交うツバメを目で確かめ、カエルの合唱を耳で確かめることができて都会に住む人にはかなわない味わいをかみしめることができてしあわせだ。



都会で時節を律儀に守っているものの代表はアジサイではないだろうか。この時季、ものぐさ夫婦の庭に季節の彩を添えるのに一番相応しい花だ。大した手入れもしなくて毎年咲いてくれる。増やすのにも、簡単に挿し木ができる。一粒で二度美味しい、なんとかチョコレートと同様咲き始めは白っぽく、次第に色が変わって来るから「七変化」といわれるように何度も楽しめる。


アジサイは梅雨時の風物詩だ。「紫陽花」と書いた方が風物詩としてふさわしい気がする。きょうの「紫陽花」はすべてクマさんチのもの。



先日配信されたメルマガに高野山の管長が体験された話が載っていた。管長が仲間とネパール訪れた時の話。木陰で弁当を食べていると貧しい子供達が寄ってきて、食べ残しをもらっていた。ネパール人のガイドが飛んできて子供達から弁当を取り上げてしまった。


そして、そのガイドはみんなの残飯を布の上に広げて、子供達に平等に渡るように分配した。日本人の食べ残しをねだってもらって食べる。それがどれほど、ネパールの子供達にとって心を痛めることか。同じものでも、同じネパール人の手から分け与えられれば、彼らのプライドを傷つけないですむ。


相手が一番欲しがっているものを、相手の気持ちになって贈るのが布施というもの。自分の要らないものを、他に与えて満足する。それは相手のプライドを傷つけることにもなる。

さすが、仏に仕える管長、うまいことおっしゃると感心した。.