「ほぼほぼ」に思う


雨の降り出す心配のない梅雨空の一日。時折差し込む夏の日差し。グラウンドゴルフで今年一番の汗をかいた。早いもので、きょうは、もう1年の折り返しの日だ。6月30日きょうの誕生日の花はカンナとラジオ深夜便。そういえば、ウチに10株ほどあるが、1株だけ咲いている。


先週の緑化センターで、あの広い敷地でギボウシがチラホラとしか咲いていなかった。もちろん、ウチでも咲いていなかった。今週に入ったら、ウチでもウッドデッキの下で乱れ咲いている。常に五感を研ぎ澄ましていないと、季節の移ろいに置いてきぼりを喰う。



「〇○さん、おみえになりますか?」「いま、いま退社したところです」。「早々(はやばや)とお越しいただいて誠に恐縮です」。「病状が回復するのをただ、ただ祈るばかり」このように、「いま」とか「早い」とか「ただ」を強調するのに同じ言葉を重ねて使うことがある。


いま、若い人の間で「ほぼほぼ」という新表現が使われているそうだ。へぇ、そんなの初めて聞く。仕事の進捗度でいえば、ほぼは90%、ほぼほぼ95%。友人から予定を聞かれ、「ほぼほぼOKだよ」てな使い方らしい。きょうの朝日新聞デジタル版でこの言葉の使い方を分析していた。



「ほぼほぼ」は日本語としてはごく当たり前の強調表現ではあるが、権威ある国語辞典に掲載されるまでには至ってない。なぜかといえば、「新参者」だからだ。仲間内や仕事仲間だけの流通ではなく公の儀式や新聞などでも使われるようになって、はじめて「新参者」から外れるということだ。国語辞典に載るにはまだ10年早いといったところだろう。



人間関係がますます希薄になる世の中で、相手と適切な距離感を取ろうとして生み出した防具のような言葉。相手と衝突したくない、こちらのことをわかってほしい。「ほぼほぼ」からそんなことが見えてくると大学の先生は分析している。


高齢者の人口の割合が4人に1人を超えたとけさのテレビも新聞も伝えている。ご隠居さんなんて、呑気なことも云っておられなくなった。何でも人頼みにしていたら、取り残されてしまう。五感を研ぎ澄ましておかないと、季節に取り残されるし、若者言葉にもついて行けなくなる。