機械遺産スバル360に思う


まだ梅雨明けしない関東地方に気兼ねしてか、この地方も戻り梅雨で付き合っているようなかっこうだ。それでも、午後からは日差しも強く蒸し暑くなって、久しぶりの夏日だ。写真は10日も前のものだが、夏日の日差しのもと、風に揺れる蓮池の眺めなど、夏の真昼の夢だ。柔らかな緑の葉は花に劣らず美しい。植物のハスという存在では畏れ多い。聖なる花の蓮。と云った感じさえする。


2.3日前の新聞に出ていた。日本機械学会富士重工業が1958年に発売した軽自動車「スバル360」など7件を2016年の「機械遺産」に認定した。と。クマさんの生涯最初のマイカーがスバル360だったのだ。それだけに、思い入れがあって、同社が軽自動車の生産を終了した4年前の日記に、その思いをカキコした。2012年2月29日の日記の再現だ。



けさの新聞に出ていた。昭和33年以来「てんとう虫」の愛称の親しまれた軽乗用車スバル360。高度成長期の自家用車ブームに貢献してきた富士重工業が軽自動車の生産を昨日で終了したそうだ。このスバル360は我が人生の中でもひとつのエポックだった。

 
このスバル360が発売され始めたころ高校生だった。4人の仲間で30歳までに自家用車を持つと血判状を書いてそれを我が家の額の裏にしまっておいた。30歳になった時に4人立ち合いで開き、自家用車を持てなかった者は罰金を払うという趣旨のものだった。


その血判状の存在すら忘れてしまっていた昭和42年。翌年の結婚式を控え、とにかく四つの輪っぱがあり、雨が凌げる自家用車が欲しかった。入社3年目の若いサラリーマンには中古の軽四輪くらいしか手が出なかった。かくして我が人生で初めて自家用車のオーナーになったのはスバル360だった。金沢に居た時のことなので、この車で白山の麓の中宮温泉とか福井の越前岬など当時は未舗装装の道路が多い観光地へもしばしば訪れた。今から思うと、こんな車でよく行ったものだ。



自家用車のオーナーになることが夢のまた夢の時代に、その夢を叶えさせてくれたスバル360.今では博物館でくらいしかお目に架かれない懐かしい車だ。社会人になって10年以上経ってたまたま血判状の4人が集まった時誰となくその話を持ち出した。高度成長の時代のおかげで4人とも30歳までにはオーナードライバーになっていた。


今や省エネ時代、低燃費の軽自動車は再び脚光を浴びているが、自動車業界の再編で軽四輪生産の終了を余儀なくされた富士重工業。わが夢を叶えさせてくれ、色々な思い出をありがとう。と礼を言いたい。


なお、スバル360のほかに、日本初の移動式ブラシ付き門型自動洗車機など計7点が認定された。永六輔大橋巨泉が相次いで旅立ち、スバル360が遺産に認定。昭和がますます遠くになりにけり。