ロンドン五輪回顧


暦の上ではきょうは「処暑」。暑気退かんとする時季なり。だ。気がつけば、日暮れは早くなり、つくつくぼうしが賑やかになってきた。


きのうの北京に続き、ロンドン五輪回顧。この時には五輪そのものにあまり熱が入らずさめた見方をしていただけに、日記のカキコも北京ほど多くない。北京からロンドンの4年間に5人も首相が交代した。ロンドンからリオの4年間はじっくりと腰を据えて・・・のカキコ。その通りになった。女子サッカーの銀、女子バレーボールの銅メダルを持ち上げたが、どちらもリオに出場も叶わず線香花火。残念。


ロンドン五輪(2012年7月27日〜8月12日)
7月27日 (この日の冒頭の画像はカラスウリ
ロンドン五輪が始まる。興奮する、無関心、にわかナショナリストになる。人さまざま。色々な見方がある。結構じゃないか。カラスウリの花に神秘性を感じ、その群生に接してうれしくなっちゃう男がいるように・・・・。



7月31日
ロンドン五輪開催中でテレビも新聞も五輪報道一色の感じだ。開会式の始まる当日のカキコ。「興奮する、冷めてみる・・・人さまざま。ロンドン五輪だって色々な見方がある。」などとカキコしたものの、連日の過熱報道には少々辟易気味だ。青春を五輪出場に賭けて死ぬような思いでトレーニングを積んできた選手たちには失礼な言い分かもしれないが・・・。


東京五輪の年、東京を去り社会人1年生になった自分。五輪翌年、学生時代の友人たちと旧交をあたためるため上京して一変した東京に驚いた。新幹線、モノレール、首都高。今から思えば、東京五輪がきっかけになったのはインフラだけではない。選手村での食事提供が外食産業の基礎となり、警備を民間の会社で担当して民間警備がビジネスとなったことなど何かで読んだことがある。


トイレや非常口などで見かける絵文字が普及したのも東京五輪がきっかけだったらしい。五輪は単なるスポーツの祭典にとどまらない。今回のロンドン五輪ではインターネットでの生中継が本格化した。また、女性選手の参加をイスラムの戒律で認めていなかったサウジアラビアなど3ヶ国が認めるようになり、史上初めてすべての国での女性の参加が可能になった。目を凝らすべきは競技の結果だけではない。



8月9日
考えてみれば、北京五輪からロンドン五輪の間に日本の総理は福田、麻生、鳩山、菅、野田と5人も代わっている。果たして次のリオ五輪までの間に何人総理が代わるだろう。じっくりと腰を据えて国のかじ取りができる人にやってほしい。


8月11日
ロンドン五輪もいよいよ終盤だ。ロンドンでの日本人金メダリスト第1号女子柔道の松本選手。試合に臨むときのあの精悍な顔つきが話題を呼び、ウルフ(狼)とかアサシン(暗殺者)などの異名をもらった。嫁入り前の娘がこんな異名をもらっては・・・心配の向きがあるかもしれないが、この異名は強き者の名誉ある称号だ。



8月13日 
ロンドン五輪が終わった。日本は過去最多38個のメダルを獲得して大健闘だった。なかでも女子サッカーや女子バレーボールなどの団体競技の好成績は、厳しい練習をともにした仲間を信じるチームワークの美しさを示し、うつむきがちの日本にに元気をもたらせてくれた。閉会式を終えて帰国して来る選手団を「歓迎」してのフジの季節外れの開花だろう。