豪雨被害の岩手・岩泉


台風12号がまた本土上陸を窺っているようだ。その影響だろう。夕方から天気は下り坂。9月の声とともに蝉しぐれがすっかりなりを潜め、それに代わって朝な夕なに虫の声がにぎやかになってきた。ウォーキングの沿道、右に左にクズの花もにぎやかだ。


気象庁が統計を取りはじめて以来初めてという東北地方の太平洋側から上陸した台風10号岩手県や北海道に大変な大雨被害をもたらした。被災地がかつて訪れ、世話になったり、友達になったりした場所だと他人事には思えず心配になるものだ。



大学2年の夏3人で東北貧乏旅行をした。岩手県宮古の田老海岸で地元の小学生たちと遊び、その後文通などをした。
東日本大震災のとき、その田老海岸は大津波の被害に遭った。そのときの子どもたちが心配だった。今回の豪雨被害のあった岩泉町もその旅行の時、大変お世話になった。


旅行の目的のひとつが、できるだけ非観光地に行く事だった。観光地だったら社会人になってから、いくらでも行くチャンスがあるからだ。そこで、選んだのが「日本のチベット」といわれていた北上山地だった。当時のガイドブックにはここでは今でも人糞を素手で蒔いて農業をしているとまで書いてあった。



岩泉の小学校の講堂に泊めてもらった記憶だ。町の銭湯に行ったら脱衣場のテレビの前は黒山の人だかり。昭和36年当時まだこの地の一般家庭にはテレビの普及が進んでなく風呂屋で見るテレビが最高の娯楽だったようだ。翌朝、日本三大鍾乳洞のひとつといわれる龍泉洞に行った。開場時間より早かったが、おじさんが無料でこっそり入れてくれた。


天井のつらら石や地面の石筍(せきじゅん)とともに、どこまでも青く澄みきった地底湖が幻想的だったことを今でも憶えている。けさの朝日新聞デジタル版に、この鍾乳洞も大きな被害を受け再開のめどが立っていないと出ていた。



岩泉町の面積は東京23区の約1.5倍。その岩泉町の中でも安家(あっか)が「僻地中の僻地」といわれていた。そこにも鍾乳洞、安家洞があった。当時は一般公開してなかったので、行かなかった。この安家地区は今なお孤立して救援を待っているようだ。高齢者グループホームで災難に遭われた9名の方々をはじめとする被災者のみなさんのことを思うと、他人事と思えない。                                         


岩手県は日本人の心の琴線に触れる「遠野物語」や石川啄木宮沢賢治らの個性豊かな文学作品を生み出し、岩手県らしさを形成することとなった点は見逃せない。しかし、その間に決定的となった社会基盤整備の遅れ。それが{日本のチベット」といわれるようになった要因ではないだろうか。東日本大震災からの復旧が道半ばのところに、今回の台風10号豪雨。一日も早い復旧を祈りたい。