多治見の暑さのワケ


久しぶりのグラウンドゴルフ。雨中戦を終えたと思ったら夏の日差し。とはいえ、目にははっきりとわからないがどこかに秋の気配が感じられる。あす7日は暦の上では二十四節気の「白露」、日中はまだ暑さが残るが、朝夕の涼しさの中に肌寒さも感じ始める頃だ。


9月の声を聞いた思ったら、家庭菜園のローゼルの花が一斉に咲き始めた。背丈2m近い。この花、アオイ科だから、ハイビスカスやオクラ、ムクゲなどと似ている。果実はジャム、ゼリー、ハーブティーに利用できて重宝がられている。




この夏、わが故郷多治見は国内最高気温39.7度を記録した。2007年8月16日には40.9度の観測史上歴代2位(1位は41度の高知県の町)の記録で一躍全国区の都市として名を上げた。多治見の連中と毎年旅行をしているが、訪問地で多治見から来たというと、あの暑い町の多治見ね。などと云われることがけっこう多い。


地場産業の陶磁器の衰退で斜陽都市化した多治見も降って沸いたような「暑さ」で知名度を上げたのだ。この暑さのメカニズムを筑波大学の計算科学研究センターが気象データで解析して、国際的な専門誌に発表した。そんなことが地元の新聞に出ていて、多治見の仲間のブログで話題を呼んでいる。



その発表された結論というのはこうだ。「滋賀・岐阜両県にまたがる伊吹山地フェーン現象で高温になった西風が濃尾平野で熱せられ多治見に届いていた」つまり、琵琶湖の北付近の空気が伊吹山地を越え、フェーン現象で高温になり、西風によって広い濃尾平野を運ばれるうちに、熱くなった市街地の地表面の熱を次々に拾い、多治見に到達するのだ。


日本が高度成長時代に入る前、伊吹山から東の濃尾平野にかけて、今のように新幹線もなければ名神高速もなかった。濃尾平野を西から東に吹く風もコンクリートで熱せられた地表面の熱を拾うこともうんと少なかった。多治見も世間並みの暑さだった。多治見のまわりの様子を仲間はブログでこう表現していた。


「小学校時代、夏休みに 毎日 日記を書かされ、気温もつけた。きおくによれば、33度、34度まではあったが・・・37度、38度なんてなかった。田んぼの水がなくなり、緑の山が 住宅地になったんだから・・・気温があがるのもむべなるかなである。」


多治見在住の仲間たちに暑い思いだけをさせておいて、自分はあの暑さ日本一の多治見出身やと誇らしげに語るクマさん。これが、無責任男の”ええとこどり人生”かもしれない。