パラリンピックに思う


きのうの日記に《秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる 藤原敏行》をもじって、 目にははっきりとわからないがどこかに秋の気配が感じられる.。などとカキコしたが、一日経ったきょうには、どこかに秋の気配が・・・などと風流なことを云っていられなくなった。


「かぜの音」が台風13号となって現実のものとなってきた。予報は曇りと傘マークだったが、朝から強い日差しに台風前夜特有の蒸し暑さだ。きょう7日が二十四節気の「白露」というのに、およそ「白露」には似つかわしくない日になった。
  
けさのラジオ深夜便。きょうの誕生日の花はコルチカムと云っていた。数年前までウチの花壇で毎年9月半ば頃から咲いていた。元来ものぐさなな我が夫婦にぴったりの花だということで球根をいくつも手に入れた。開花には土も水も必要ないというふれこみだった。机の引き出しの中でも球根から開花するそうだ。数年の間に一つ減り二つ減りですべて消滅してしまった。


あしたからリオパラリンピックが始まる。つい2年前まではパラリンピック障がい者のリハビリの延長線上にあるもので「医療」「福祉」の大会という認識でいた。その証拠にオリンピックが文科省の所管であるのに対し、パラリンピック厚労省だった。パラリンピックのニュースが新聞のスポーツ面に掲載されることにも違和感を持っていた。


それが、障がい者も健常者も隔てなくという国際社会の流れからパラリンピックにおける競技スポーツの振興は、福祉だけでなく「スポーツ文化」の発展につながる。そんなことから、おととし2014年にパラリンピック文科省所管になり「スポーツ競技」として認知され、去年文科省の外局にスポーツ庁が設置された。もっと早く、こういう手が打たれてもよかった気がする。



今、ボストンマラソンにしてもベルリンマラソンにしても車いすの部がある。健常者と障がい者が隔てなく競技を行う時代になった。パラリンピックは体の機能にハンデのある人、マスターズの陸上や水泳の世界大会に出場する人は年齢にハンデのある人。年齢というハンデがありながら、鍛錬して世界の檜舞台で活躍してもなかなかニュースでとりあげられない。


健常者と色々なかたちでハンデのある人が隔てなくひとつの舞台で競い合うことがオリンピックの理想の姿だろう。次の東京でも、その次でも実現は難しいだろう。利権のうごめく商業オリンピックから脱皮したときに実現するのではないだろうか。