独立国家加賀 首都金沢


穏やかな晴天の一日。半袖で過ごしても快適な陽気だ。毎年この頃になると11月第2週か3週に金沢で集まる会合の知らせが来るが、今年はまだ来ない。万年幹事のMが体調を崩したかと心配だ。この会合、20年以上続いていたが、メンバーの内の三分の二が物故者になってしまい数年前に解散した。生き残りの7人は金沢在住3人名古屋組4人。やっぱり、集まろうと、3年前に7人で復活。


ことほどさように、毎年金沢行きが待ち遠しい。第二の故郷金沢にはそれほど愛着がある。友と先輩と飲んで歌って語る。それだけではない。20代のときに読んだ本を今読み返すと20代の時とは違った感慨があるように、金沢の街も70代になって歩けば、それなりの感慨があるからだ。


20代後半から30代後半の10年間の金沢暮らし。当時は加賀百万石大したもんだ程度の認識だった。金沢を離れておよそ40年。人生経験も積んで、外から金沢を見てみると、若い時とは違った色々なことが見えてくる。それもかの地へ訪れる楽しみでもある。


半世紀前から今に至るまで名古屋・金沢間を鉄道(北陸線高山線)バス(北陸道東海北陸道)車(高速道・一般道各ルート)飛行機(小牧〜小松)で数えきれないほど往復した。金沢は自然の要塞に取り囲まれている。東は倶利伽羅峠を含む宝達丘陵が七尾まで延び、南は白山山地、西北は日本海。もともと自然の国境線ができている。何回も往復する間にそんなことに気づいた。



城下町を歩く。城の周囲には長町をはじめとする武家屋敷があり、その外側の周囲の尾張町、近江町、高岡町などはそれぞれの国からやってきた商人が住みついた場所だ。半世紀前には同業の職人の住んだ町として大工町、桶町、材木町、象眼町、鍛冶町などがあったが、今は新町名に変わってしまったのではないだろうか。


金沢は生活に必要なものが、ほとんど町名になっていた。味噌蔵町、塩屋町、金屋町、瓢箪町などもあった。かつての金沢は町の生活に必要なものを町の中で調達していた証拠なのだ。そうなると、国境線がしっかりしていて、農業生産が豊かで、商工業がさかんで強力な武士集団がいる。加賀は実質的には独立国家ではないか。金沢はその首都だ。


以上は経済面の切り口だが、真宗王国と云われた宗教面、文化の面、徳川幕府との関係などの切り口などから考えると興味は尽きない。