「デッカイどお」開拓史に思う


北海道へはかつて3度ほど訪れたことがある。すべて仕事の延長線でのこと。今回は、麻雀を除けば何ら利害関係のない仲間との旅。目に写る景色も風の音も、五感で感じるすべてが、現役時代訪れて感じたそれとは異なっていた。心に余裕があれば感じることも変わって来るのは当然のことだろうが。


とにかく、広い。緑の空間がのびのび広がっている。日本の農村という感じがしない。わらぶき屋根の農家がごちゃごちゃとかたまっていない。トタン張りで赤、青の屋根の農家とサイロがあちこちに分散している。日本の農村の原風景とはまったく違った風景だ。新鮮さがある。


この新鮮さはどこから来ているか。いうまでもなく、北海道が過去1世紀半以前には日本の辺境地だったからであろう。北海道開拓史は、米国の西部開拓史に似ている。時期的にも、このふたつの開拓史は19世紀の初めから半ばにかけて人々の心をかきたてた。そして20世紀のはじめに、およその地ならしができた。




ここまでカキコして思い出したのが、10年ほど前にみた映画だ。吉永小百合渡辺謙主演「北の零年」だ。明治維新の際、淡路島から追われるように北海道へと開拓に渡った武士とその家族が大自然を舞台に、原野開拓に挑むドラマだった。そのついでに、思い出したのがロックハドソン、エリザベステーラー、ジェイムスディーン競演の「ジャイアンツ」北海道の牧場とは桁違いの広さの牧場を舞台に人種差別、油田開発などが絡むドラマだった。


話を元に戻そう。開拓史の中での共通点。もうひとつ。それは、原住民との闘いだ。アイヌとインディアンだ。両者とも迫害を受け、その後地域を限って保護を受けている点、地名に原住民語を取りいれている点などが共通している。アイヌ、インディアン双方とも「民芸品」が観光資源になっていることも共通している。


米国の西部と日本の北海道、双方の開拓史がほぼ同時進行であったというのは歴史の偶然だろう。米国西部開拓史のフロンティア精神が、札幌農学校に米国より赴任したクラーク博士に帰国の際に言わしめた「少年よ、大志を抱け」の言葉が今なお、語り継げられていることは、これも何かの縁(えにし)でないだろうか。


いろいろなことを思いめぐらせてくれる北の大地だ。