無縁化する墓に思う


きのうからの雨も朝には上がり、昼ごろからは晴れ間が戻った。三好丘の丘陵の尾根筋にある大根畑。その一角にある四季桜が咲き始めた。来週には、小原の四季桜も見頃となる頃だ。



実家の墓の墓じまいから先祖の霊の永代供養までの一連の手続きやら儀式がきのうでやっと終わった。およそ、半年かかった。実家の跡継ぎでもないのに、近くに住んでいることから墓守役をやって、その役目が務まらなくなったからといって、墓守を放棄するようなことでは、先祖に対して申し訳なく、忍びない気持ちと、ほっとした安堵の気持ちが交錯してやまない。


幕末安政時代から両親にいたる先祖の墓を撤去し、その霊は寺で永代にわたって供養してもらうわけだが、檀家としての縁は切れたことになる。いまや、墓の無縁化や寺の維持困窮化が社会問題となっている。自分がたどったケースから見たこうした社会現象を簡単に整理してみた。



墓が無縁化する要因は大きく分けて人口問題と家・先祖意識の変化のふたつが複合的に作用した現象だろう。一つ目の人口問題。都市部への集中だ。わがケースだと本来墓守をすべき長兄は家業を廃業して東京にいる長女のもとで隠遁生活して他界。長兄の長男も都会で生活。忙しい現代の世の中で都会暮らしをしながら田舎の墓守などできるわけがない。


少子化による物理的な承継者の減少は明白なこと。高齢化。7割の女性は80歳を過ぎて他界。23回忌をするのは孫が大半を占めるだろう。3世代同居が少ない今、年に1、2回しか会わない孫がきちんと法事をしたり墓参りをするだろうか?


二つ目の家・先祖意識の変化。旧来の墓は「家」「家族」「先祖」といった概念によって成り立っていた。戦後「家」制度がなくなったものの、墓に関しては「家」が墓を守って行くうえで重要な役割をはたしてきた。しかし、これも「魂」とか「先祖の崇拝」が信じられなくなった現代人が増えて崩れつつあるのではないだろうか。


わがケースに当てはめてみる。自分が近くに住んでいるからと墓仕舞いや永代供養に腐心しているのをみて戦前育ちの次兄夫婦は、長兄の長男にやらせればいいと云ってくる。そんなところに戦前派と戦後の若者の「家」意識の違いが垣間見える。