カストロ死去の新聞記事に思う


カレンダーも最後の一枚になってしまった。きょうから師走12月だ。天気予報がはずれて日中は雨の心配もない日となった。”師走”には似つかわしくない暖かな師走の入りだ。それでも、気のせいか、名古屋の街で行き交う人も急ぎ足に感じられる師走の入りだ。朝から名古屋での麻雀と飲み会で暮れた師走の初日だ。



他所からやってきたドラゴンズファンでない人が、中日新聞のスーポーツ欄でのドラゴンズ偏向記事を読んだらさぞやムカつくことだろう。クマさんをはじめとする地元民は中日新聞はドラゴンズの親会社であり護憲、即時脱原発を標榜する高級な準全国紙であることを常に念頭に置いて読んでいるつもりだから、ドラ偏向記事でもあまり違和感はない。



先だっての日曜27日の中日朝刊の一面トップの大見出し。「カストロ前議長死去」だ。どうしてこんなに大きく扱わなけれならないだろう?「英雄」か「残忍な独裁者」か。賛否両極端のこの人物だが、同紙のこの扱いは「英雄」の方に相当傾いているのではないか?護憲、即時脱原発を唱える中日新聞であるにしても異常としか思えない。



あの朝日新聞でさえ27日の朝刊一面の扱いは写真の通りだ。こんなことも考えられる。10数年前社会主義国キューバからドラゴンズにキューバ野球の至宝リナレスが入団した。ドラゴンズはキューバの球場の改装費用を寄付したりしている。そして彼は、ことしは臨時コーチをしている。これくらいのことで、一面にあれだけデカデカと扱う必要もないと思うが・・・。


カストロ武装蜂起に失敗して逮捕されたとき、こんなことを云ったという。「歴史は私に無罪を宣告するだろう」。歴史の法廷がいよいよこれから始まる。中日新聞が弁護人として法廷に立って弁護してくれるだろう。何と云っても、この新聞社は記事をねつ造してまで、あたかも”革命”を礼賛するがごとき「新貧乏物語」という記事を連載しているという熱の入れ方だから。