電通社長辞任に思う


穏やかな晴れの日だ。風も少なく日差しに誘われて、大きな窓拭き4枚。これで年末大掃除はおしまいとした。


昨夜7時のニュースの最中に電通の社長の辞任の報が速報で入った。「やっぱり、そうか!」というのは、つい2.3日前に電通の元常務が月刊文芸春秋新年号に「電通は本当に悪いのか」と題する手記を寄稿していて、極端な現場主義が生んだ特殊な組織の内実を読んだばかりのところだったからだ。



結論を先にいうと、現場で優れた実績を出した人材が”現場監督”のまま経営陣に入り一段高い経営視点に立てないことが、往々にしてある。今回の事件も現場に任せておけばいいという意識の表れで、トップの謝罪会見も開かない。この問題の重要性を社長は認識していなかったに違いない。と指摘していた。


筆者は電通の特殊性として「マスコミ業界特有のユルユル体質」と「履き違えた自由体質」の二点を指摘している。詳しいことは省くが、こうした体質が他社に負けないためには何をしても許されるという現場感覚を助長し、管理部門がいくらルールを設けても現場を取り仕切る営業幹部の意向ですべてが決まる体質ができてしまったようだ。だからといって、これが今回の事件の免罪符になるわけではないと断っているのは当然ことだ。



今回の事件をきっかけに抜本的な労働法の改正に繋げることを主張している。電通における「労働」と労基法でいう「労働」との間に意味の違いがある。電通のような業務では「成果」と「時間」の関係が密接でない。時間で成果が測れない仕事はこれからも増える。労働法の見直しが迫られる。電通も、ネット時代にふさわしい労務管理の構築が必要だと結んでいた。


現役時代、大阪の会社に在籍時に労働時間の問題で是正勧告を受けた。その際「工場労働者を対象とした労働基準法を、どんな労働者にも当てはめるのはおかしい」と「悪法もまた法なり」とわかっていても、異議を申し立てたクマさん。筆者の提案に溜飲が下がった。