国家間の信頼関係に思う


週末は連日早春を感じさせるような陽気が続いた。土曜日に地元選出県会議員の後援会がバス10数台を連ねて行った奈良春日大社初詣はコートが邪魔になるほどだった。昨夜来の雨も上がり午後からは青空。日差しは、まさに「光の春」を感じさせる。


先週も一言云いたくなるようなニュースが伝えられたが、何と言ってもビッグニュースは故郷多治見の母校多治見高校が春のセンバツ21世紀枠で出場が決定したことだ。来年創立95周年を迎える伝統校。甲子園出場ははじめてのことだ。他部と共用の狭いグランドを早朝練習などで克服し昨秋岐阜大会で優勝したことが推薦をうけた理由のようだ。多治見の仲間のブログは盛り上がっている。



会社間の約束事とか契約は代表者が代わったからといって、その都度その代わった代表者の意向で内容が変更されることはない。そんなことをしていたら、会社間の信頼関係が損なわれてしまう。そのことは国同士の関係でも同じでないだろうか。先週の出来事の中から国家間の信頼関係の在り方がことさら浮き彫りにされた気がする。


そもそも、米国から呼びかけたTPP。大統領が代わったからと云って、「大統領令」1枚で反故にしてしまうとは、あまりにも横暴でないか。TPPに賛同して国内手続きまで済ました国に出かけて礼を尽くした上での脱退ならまだしも・・・。国家間の信頼関係とはそんなものだろうか?



「最終的かつ不可逆的に」解決されたとして日本が10億円の資金を韓国の事業に拠出した日韓慰安婦問題。大統領が弾劾されたからあの約束は無効だと騒ぎ立てる民衆。そして慰安婦像はいつまでも撤去されない。今の韓国政府のスタンスは国家間の約束事より民衆の声に重きが置かれている。国家間の信頼関係とはそんなものだろうか?


長崎県対馬の寺から盗まれた観音様が日本に返還されず韓国の寺へ引き渡しを認めた韓国の司法。その主張は、この数百年前に作られた仏像は、倭寇(わこう)に略奪されたから。ということだ。この論法でいったら、日本にある朝鮮半島由来の美術品は、すべて返還の対象となり、窃盗も正当化されることになる。国家間の信頼関係なんてあったものではない。