届かぬ心


冬の天気に戻った。先週末からの春先のような陽気になれた身体には余計にこたえる。ウォーキングメンバーが揃うのを待つ間に花壇のノースポールを観察。昇り始めた日光に、まだ花びらを閉じたまま眠っているものやら、目を覚ましたばかりのものやら、早起きしてバッチリ花びらを開いたものやら、様々な顔を見せている。




NHKテレビ、朝の連ドラ「べっぴんさん」。2週間ほど前に「届かぬ心」というタイトルの週があった。ヒロインすみれの高校生の娘さくらは、両親がベビー服の店の仕事が忙しいことや反抗期も重なって、ジャズ喫茶やナイトクラブに出入りするようになり、あげくは家出してすみれの姉の家に居候することになった。すみれは親としての自分の心がさくらに届かないことに悩むのだった。


おとといの日曜のこと。三女が中一の娘のことで色々と愚痴をこぼしに来た。自分が腹を痛めた子だけに、これだけ思っていればわかってくれるはず。それがわかってくれない。「届かぬ心」をカミさんとふたりで聞いてやった。



かくいう自分にも「届かぬ心」の失敗があった。土曜日、観光バスで奈良の春日大社に行った時だ。本殿にお参りしてバス駐車場の集合時間に自分を含め5人が道に迷って20分くらい遅れてしまった。バスに乗り込むとき、待っている人たちに「詫び」を云ったつもりだったが、照れくささもあって声が小さかったかもしれない。


「詫び」もないという陰の声があったらしい。あって当然だ。全員に届くような声で云わなければ、その心は全員に伝わらない。かつては再三他人に云ってきたセリフだ。自分のこととなるとダメだなぁ。届かねばならない心の声はなかなか届かないものだが、どうでもいい心の声はよく届いてくる。そして、中には、チクリと心に刺さるものもある。