阪急あれこれ


晴れ間は広がったが風の冷たい節分2月3日。冬から春への季節の変わり目の日だ。2月の光は誰の目から見てももう確実に強まっており、風は冷たくてもきょうのように晴れた日のウォーキングの道すがらに望む三好丘の丘陵一帯はキラキラと光り輝いている。まさに「光の春」だ。


欧州では2月14日のバレンタインの日から小鳥が交尾を始めると言われてきた。日本でも2月にはスズメもウグイスもキジバトも声変わりして、異性を呼んだり縄張りを宣言する独特の「さえずり」を始める。ホルモン腺を刺激して小鳥たちに恋の季節の到来を知らせるのは、風の暖かさではなく光の強まりなのである。こんなことをお天気博士倉嶋厚さんがどこかに書いていた。



NHK朝の連ドラ「べっぴんさん」。ヒロインすみれが中心となって経営しているベビー用品店キアリスが出店しているデパートが大急百貨店。モデルは阪急百貨店だ。映し出される映像が梅田本店にそっくりだ。ヒロインすみれの名前も阪急のシンボルともいえる宝塚歌劇でお馴染みの歌「すみれの花の咲く頃」からとったものでないかと思う。


大阪赴任時代住んでいたのが、阪急宝塚線豊中。在任中は同業種のつながりで、阪急、阪神、南海、近鉄などの連中と情報交換と称する飲み会や麻雀が月一のペースであった。同じグループのデパートが戦後名古屋駅前に開業する際指導を受け、大勢の従業員が見習いに行ったのが阪急百貨店だったことは、自分は何の関わりもなかったものの、沿線に住んでいるよしみもあって阪急さんとは特に懇意にしていた。



阪急ブレーブスで活躍した梶本兄弟は多治見出身、実家はクマさん本町2丁目、彼等は3丁目の至近距離。兄隆夫はクマさんより多治見工業出身6歳上、弟は多治見高校出身4歳上。兄は通算254勝で野球殿堂入りしている。公式戦9連続三振奪取の日本記録保持者。


弟は大した活躍はなかった。引退後新阪急ホテルの常務をしていた。大阪時代に新阪急ホテルの支配人を紹介されて名刺交換。「ミシン屋さんの・・・」「本屋さんの・・・」で互いに多治見談義した記憶が蘇る。



そんなこんなで、阪急電車、百貨店、ホテルは何かと注目していた。梅田駅で乗り降りして、これぞホンマモンのターミナル駅だと驚いた。当時はいくつあったか憶えていないが、現在は43台の自動改札機が横一列に並んでいる。ターミナル駅の中に動く歩道がある。これも驚きだった。


はじめて電車のボディーカラーを見た時には、なんだ終戦直後の国鉄の客車や国電と同じブドウ色じゃないかと思っていたが、阪急電車は栗を語源とするマルーン、阪急マルーンという伝統色らしい。それを聞いて、重厚感あふれる伝統色に見えて来るから不思議だ。


梅田をはじめとするほとんどの駅の案内放送では、「1番線、2番線」と云わず「1号線、2号線」という。これは、机上の配線図をそのまま呼称しているようだ。便宜的に使っていた呼称がいつのまにか伝統になってしまったようだ。どこの鉄道に乗っても同じような呼称にするのが「乗客ファースト」でないかと思う。



大阪時代は「ぐるっと関西」というカードで私鉄、地下鉄が乗れたのでめったに乗車券を買うことがなかった。たまに買って、梅田の「田」の真ん中が「十」でなく「メ」の形になっている。その疑問がつい最近になってやっと解けた。朝日新聞デジタル版に載っていた。


これは、自動改札機がなく係員が切符を1枚ずつ確認していた時代の名残らしい。阪急には梅田のほかに池田、吹田、園田など「田」のつく駅が5つある。梅田駅は飛びぬけて乗降客が多く、改札でほかの「田」のつく駅と区別しやすくするために書体を変えたそうだ。


「べっぴんさん」から広がる話は尽きない。澄みわたった冬の夜空に、宵の明星(金星)がひときわ冴えわたる。