「道」を「究める」と「楽しむ」


冬型の天気の一日。晴れはしたものの風が冷たい。「春は名のみの風の寒さや」早春賦の歌詞を実感。


徒然草に弓を射る時の心得を先生が弟子に教える段がある。初心者は、二本の矢を持ってはいけない。あとの(二本めの)矢をあてにして、初めの矢をいい加減に思う気持ちがあるからである。矢を射るたびに当たるか当たらないかを考えずに、この一本の矢で必ず的を射抜こうと思え。と教えるのだ。


カメラをフィルム式からデジカメに変えた当初はカメラを構えるたびに徒然草のこの段が頭をよぎる一方で「フィルム式ではそんなわけには行かないがデジタル式なら;へたな鉄砲も数打ちゃ当たる」と何枚も撮って気に入らないものは削除して行けば・・・という気持ちの葛藤がある。しかし、結局は一番最初に撮ったものが一番よかった。案外、こういう人が多いのではないかと思う。



徒然草の作者兼好法師は心のスキ、怠け心を戒めようとしていると思う。写真を撮ることに関していえば、人間の習性でまずは一番いいアングルで撮ろうと集中して被写体に向かうから結果的に最初に撮ったものが一番気に入ることになる。ちゃんと、兼好法師のいうように只今の一念に徹してると思う。

                  

「へたな鉄砲・・・・」はもしかしたらまだいいアングルからとれるかも・・・とスケベ心というか遊び心でとっているだけではなかろうか?何枚も撮るとフィルムがもったいないから、この1枚で何とか決めようとガチガチになって撮るフィルム式。まずベストショットを決めておいて、次はひょっとするともっといいショットができるかもしれないと余裕で撮るデジタル式。


弓道」で「道を究める」人と「道楽」で「道を楽しむ」人では自ずと心構えが違ってくるものだ。