震災日記(後編)


きのう3月10日はあの東日本大震災での未曽有の大災害から丸6年目の節目の日というだけでなく、何かと節目となるニュースの多い1日だった。PKOで南スーダンへ派遣中の自衛隊の撤収が決まった。韓国の大統領弾劾裁判で朴大統領の失職が決まった。森友学園が小学校設立認可申請を取り下げた。マレーシアの警察が空港で殺害されたのは金正男氏であることを正式発表した。センバツ高校野球組み合わせ抽選会で多治見高校は兵庫の報徳学園とう対戦が決まった。今年の記憶に残る1日となりそうな日だった。



クマさんの日記 震災日記(2011/03/11〜17)後編
3月15日

震災後、外国からは驚きを込めて日本を評価する言葉が伝わってくる。不屈、自制心、連帯・・・・。これは外交辞令であって、本音のところは原発事故とその処理のドタバタぶりから日本は第2のチェルノブイリになるのではと懸念しているフシがある。


ご近所さんのお嬢さんが外資系企業に勤めるベルギー人と結婚し横浜に住んでいる。欧州系の新聞ではそんなことが取り沙汰されて、その企業では家族を横浜から実家に避難させているそうだ。そんなワケできのうお嬢さんが1歳になる子どもを連れて里帰りしてきた。


この国難に対応する司令塔が不在ではないか? 総理と官房長官ばかりがテレビに出ているが人間の能力にも限界がある。被災範囲が広く地形的にも条件が悪いということはわかるが、災害発生後5日経っても救援物資が届かない避難所がたくさんあるようだ。世界第3位の先進国でこんなことがあるはずがない。司令塔不在が一因ではなかろうか? 

3月16日

(前文略)メルマガの投稿者は米ニュージャージー州在住の日本人作家。「USAレポート 大震災を見つめるアメリカ」。米全国ネットの各テレビ局はキャスターを日本に送り現地報道を毎日している。ある局は日本語のできるキャスターが南三陸町から日本語でコミュニケーションしながら生中継をしている。


また、ある局では宮城県から福島県まで精力的に取材し、給水に長蛇の列を作っていた人たちが途中で水がなくなってもらえなかっても叫んだり暴れたりしなかったシーンは衝撃だったとレポートしていた。大地震、大津波原発事故と三重の災害に見舞われながら、これだけ礼節が保たれ平静だというのは驚嘆するしかないとも。


まぁ〜どうでもいいことだけど、地震報道の際に報道機関により「東北関東大震災」、「東日本大震災」「東北地方太平洋地震」などとネーミングがバラバラなのが気にかかる。落ち着いてから理科年表に載せる学術的な名称が決められるだろうが。


3月17日

地震と大津波による被害は死者と行方不明者で1万5千人に達すると夜のニュースで報じていた。これは、阪神大震災を上回り、さらに福島原発が危機的状況に陥り日本の危機に発展してしまった。円高と株安がこれに追い討ちをかけている。


地震の翌日のカキコ。テレビのニュースで岩手県宮古市が孤立と報じていた。田老地区(当時は下閉伊郡田老町)へ学生時代に訪れ、高さ10mもある防潮堤のところで土地の子ども達と仲良しになり文通もしていた。大丈夫だったか?


きょうのテレビでやっていた。田老の頑丈な高さ10mの防潮堤でさえ自然の猛威の前には為すすべもなかったと。やはり、今回の地震津波は想定外の千年に1度の災害だ。


あとがき
1995年の阪神淡路大震災から16年目に名古屋飛ばしで東日本で起きた大震災。次は名古屋かと不安がよぎる。毎年この時期になると繰り返し流される、あの街ごと津波にさらわれる映像とともにその時思ったことを書き綴った日記も併せて読み返すことで、これらの記憶が風化されないようにすることも来たるべき災害への備えのひとつではないだろうか。