姥桜(うばざくら)

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早朝にわか雨に見舞われ、強風で薄雲に覆われた一日。暦の上ではあす20日二十四節気の「穀雨」。この頃降る雨が稲をはじめさまざまな穀物の芽吹きを促すということだ。農業中心の暦だとそういうことだろうが、この頃の雨で万物が潤い木々はいっせいに芽吹きを始めるのだ。



家の窓から周囲を見渡せば、灰褐色が基調の周囲の木々が緑に移ろってきた。南側の緑地帯にある数本のモミジがいつの間にか濃い緑に衣替えだ。東を見れば、家庭菜園のシンボルツリーのケヤキ。12月の冬至の日には丸裸の枯れ木も同然の状態。(上の写真の左隅に貼り付けた写真)もう一人前に葉が茂っている。



花の散った後に葉が出てくるソメイヨシノは現在、完全な葉桜への移行途中だ。赤茶けた枝にまだらに白い花が残って、自宅から見下ろすとゴマ塩頭をみるようであまりカッコいい様ではない。その点、ヤマザクラは花と葉が同時に出て、ソメイヨシノより寿命が長い。


日本の桜の代表種ソメイヨシノが咲いている間は葉がない。「うばさくら」は「葉がない=歯がない」」ことから老婆(姥:うば)を意味する言葉になったという。言葉の意味が時代と共に変化することはよくあることで、「姥桜(うばざくら)」もそのうちのひとつではないだろうか。


「姥桜」の意味・解釈も昔は歯(葉)無しばあさん、今は色気があり、美しい熟女だ。現代解釈その心はこうだ。肉は腐る直前が一番旨味があるといわれる。つまり、充分に熟成した肉がおいしいということだ。その論と同じで、「姥桜」とは盛りの年齢を過ぎても色気がある、美しい女性のこと、つまりいい意味での「熟女」のことを指すのである。


男は女性に「姥桜」と云って、その反応で女性を判断する。本気で怒りを表す女性は、昔流の解釈しかできない昔人間。それなりの対応をすればいい。怒ったふりをしてニッコリする女性は今流の解釈をしている証拠。そこを見抜くには、熟練が必要だろう。このケースには丁寧に対応すべし。


古今東西、神代の昔から先人達も女性の胸の内を推し量るのに並々ならぬエネルギーを費やしている。このことは、いまの世でも変わりない。