やわらかいこころ


きのうの雨で「おおてまり」の花が散って、まるで雪が降ったような今朝の風景。きのうに引き続き雲が主役でいつ降り出してもおかしくないような空模様の一日だった。


「おおてまり」が終わり、ノースポールがくたびれ始める頃バラのシーズンが始まり、八朔の花が庭一面に甘い香りをまき散らす時季になった。 花から花へのバトンタッチだ。雨が降ったのとバラの花が本格的に咲き始めたことから、ふとこの短歌が頭をよぎった。



くれないの 二尺伸びたる バラの芽の

 針やはらかに 春雨のふる  子規

多治見の仲間の間で「バラのトゲが2尺も伸びるとは何事か?」などと論争した正岡子規の歌なのだ。バラの芽が出始めた春先に詠んだ歌なのだが、彼はこの歌を詠んだ4ヶ月後に喀血して他界したそうだ。論争をしている時に調べて知った。


そうした事情がわかると、こんな解釈ができて子規の心情が痛いほどわかってくるのだ。「血のように赤いバラの芽が、煙ぶるような春雨で濡れて光っている。背丈が二尺ほどではまだまだ咲かないのだろうな。待ち遠しいが自分は花の咲く夏まで生きていられるのだろうか。悲しみだけが心に映る」そして、柔らかい”とげ”と春雨の柔らかさのイメージの重なりに美を見出したものだろう。



「やわらかい」といえば相田みつをのこんな文章を思い出した。



        やわらかいこころ

木の芽がのびるのは  やわらかいから  若葉がひろがるのは  やわらかいから

かすかな風にも  竹がそよぐのは  竹がやわらかいから

年をとって困るのは  足腰ばかりではなくて  頭が固くなることです  心が固くなることです

やわらかいこころを  持ちたいものです  いつまでも心の若さを  保つために・・・



柔らかい心を持ちたいばっかりに「おおてまりの落花」から「相田みつを」まで随分無理して話を飛躍させたようです。きょうの日記。