軽井沢ブランド


お盆ウィークも終わり、みよしのいいじゃん祭りも終わった。甲子園の高校野球もきょうが決勝戦で終わった。けさ、家庭菜園に行ったら草むらで赤とんぼが飛び交っていた。気のせいか朝晩の風にはひんやりとしたものが感じられるようになってきた。暦の上では二十四節気の「処暑」。暑さも和らぎ始める頃だ。舞台は夏のステージから秋のステージへと移って行くのが肌でも感じられるようになった。



ラジオ深夜便がきょうの誕生日の花はナデシコと伝えていた。この花、6月頃から8月頃にかけて開花。ピンク色の可憐な花。縁がこまかく切れ込んでいる。我が子をなでるようにかわいい花であることが名前の由来。中国から平安時代に渡来した、「唐撫子(からなでしこ)に対して、在来種を大和撫子やまとなでしこ)」と呼ぶ。 日本女性の美称によく使われる。秋の七草のひとつ。


しなの鉄道中軽井沢駅(旧国鉄信越線沓掛駅)にほど近い場所に地元の食品スーパーツルヤ軽井沢店がある。月曜の昼下がり3時頃にもかかわらず、150台以上は入れる駐車場に待たないと入れなかった。中の車は他県のナンバーばかりだ。自車側と向かい側の両方の列合せて40台のうち地元長野ナンバーは2台だけ。あとは推して知るべしだ。



駐車場がこの状態だから、中は当然大賑わい。食品スーパーとはいえ日常の食品を買い求める人はほとんどいない。観光客ばかりだ。それも、そのはず。軽井沢ブランドの食品ばかりを集めたコーナーが一角を占めている。もともとこのスーパーは、別荘居住者をターゲットにしてきたが、そこで培った高級感を武器に店舗数を少しずつ広げ、いち早くプライベートブランドも手掛けて来たそうだ。


ことほどさよう。軽井沢ブランドの根強い人気に恐れ入った次第。月曜に蓼科で1泊、軽井沢・美ヶ原に出かけた。長女夫婦と双方の両親3家族で娘婿の運転での毎年恒例の旅行。10年前、ハワイに始まったこの旅行も、歳を重ねるごとに近場になり、去年からは国内で九州に、今年は近場の信州と距離が短くなるばかりだ。




軽井沢ブランドに話を戻す。中軽井沢駅の北2kmほどに星野リーゾトがある。大正時代から続く豊かな自然を守り、共生している地だ。大正のはじめに星野温泉が開湯。草津温泉に逗留した人が仕上げ湯として利用していた。その中に北原白秋島崎藤村など、当時の文壇を代表する文人たちが、この地に逗留していたという。


湯川の清流に寄り添うように自生していたハルニレ(春楡)の木立を生かしながら、9 棟のモダンな建物を広いウッドデッキでつないだ「小さな街」。「軽井沢の日常」をコンセプトにした、個性的なショップ、レストランが、別荘ライフを豊かに彩っている。



今回訪れた星野リゾート、ハルニレテラス、村民食堂などは軽井沢ブランドのほんの一例に過ぎないが、軽井沢は明治以来、自然環境や国際性のある別荘文化の歴史を積み重ね、軽井沢ならでの文化を築いてきた。近年は、カーリングに代表される国際的なウィンタースポーツのまち、新幹線に隣接するアウトレットモールのまちとして軽井沢ブランドは継承されているといえるのではないだろうか。


全国に「〇〇銀座」が何百もあり、それほど「銀座」のブランドに重みがあるように、軽井沢も「〇〇の軽井沢」と呼ばれるところが、いくつもある。軽井沢も銀座に勝るとも劣らないブランドかもしれない。