コスモスあれこれ


風に揺れるコスモス。甘い香りを漂わせるキンモクセイ。この季節ならではの風情だ。いつものウォーキングコースからちょっと足を延ばせばこんな風景が目に飛び込んでくる。朝は冷え込んだが、日中は穏やかな秋の日だ。


朝のラジオ。「きょうは何の日」で37年前の1980年10月5日は山口百恵のさよならコンサートが行われた日と伝えていた。百恵ちゃんといえば、「秋桜(コスモス)」だ。さだまさしの作ったあの曲だ。コスモスを見に行こう。堤防に彼岸花の咲く逢妻川の500mほど下流域にある休耕田。もう、そろそろ咲き乱れている頃だろうと訪れた昼下がり。今年は文字通りコスモスも休耕田だった。一昨年の写真で我慢するとスッか。


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コスモスは外来品種だが、なぜか日本の風景に合っている。 「秋桜」の字は、主に秋に咲き、花弁の形が 桜に似ているところからの「あて字」ではないだろうか。”コスモス”はギリシャ語の「秩序」「飾り」「美しい」という意味の言葉に由来するらしい。
 

葉は線のように細いが、倒れても茎の途中から根を出し、また立ち上がって花をつけるほど強いと云われている。どうりで、台風で倒れても花を咲かせているわけだ。芯が強いところは百恵ちゃんもそうだ。引退を宣言したら、絶対に表に出てこない。


  
何年か前の毎日新聞のコラム欄に載っていた。昭和10年に7人の文化人に「新・秋の七草」を選んでもらった。この時コスモスを選んだのは作家の菊池寛だった。ごく平凡な花で、日本の秋の風物にふさわしくていいというのがその理由であった。ちなみに与謝野晶子オシロイバナ斉藤茂吉ヒガンバナを選んでいる。


現代の「秋の七草」を選ぶとしたら、多くの人はまずコスモスを挙げるだろう。茎が細く、色とりどりの花が常に揺れ交わすさまは、いまや紛れもない日本の秋の風景だろう。さだまさし作詞作曲、山口百恵の歌う「秋桜」がさらに人気の拍車をかけたのではないだろうか。百恵ちゃんのさよなら公演からもう37年。同級生森昌子はすっかりおばさんになって、まだ頑張っている。我々にとっての百恵ちゃんは永遠に少女のままだ。