ハロウィンに思う


毎月恒例の名古屋での麻雀&飲み会。朝、出かける時は快適な陽気と青空に誘われて、駅まで徒歩。帰りは明るい月明かり。日中は室内に籠り通しで、どんな天気だったやら? あの月明かりからするときっと快適な陽気だっただろう。


10月はあれだけ雨が降ったから、きょうからの11月はきっとその埋め合わせをしてくれるだろう。結構な11月のスタートだ。


きのうはハロウィンだった。我々の年代だとハロウィンと云えば、20数年前のことだ。地元名古屋旭ヶ丘高校から米国へ留学していた高校生がハロウィンパーティーの際、暴漢と間違えられて射殺された事件とその後米国の銃規制に一石を投じたことが頭に浮かぶ。この事件でハロウィーンなるものがあることを知ったくらいだ。



翻って先週末からきのうの東京渋谷駅前の様子や名古屋大須を写し出すテレビのニュースを見ると、さまざまな仮装をした人たちで埋まっている。クリスマス、バレンタインデーなどと同様に宗教行事が商魂たくましく民間行事になってしまった感だ。                                              


そうしたことにいちゃもんをつける気はさらさらない。地域の神社の秋祭りですら、餅つきをして屋根に上がって餅投げをすることが見直されてきている。手始めに、数年前から餅つきはやめて「餅は餅屋に」頼み、餅投げは続けている。


かつて農村の秋祭りはストレス発散の場でもあったといわれる。その代りがハロウィンだと考え、本来の意味を知らなくても単に仮装を楽しむイベントだと思えば、ネットの普及とあいまって急にこの行事が盛り上がり出してきたのも頷ける。年寄りがそう目くじらを立てることでもあるまい。