無視する権利


穏やかな秋晴れが続いた3連休も明け、新しい週が始まった。きょうも相変わらずの快適な陽気。きのう11月5日の誕生日の花はマリーゴールドラジオ深夜便が伝えていた。キク科の一年草のこの花、花壇や花瓶に飾らているところは、なぜかしら、ほとんど見たことがない。見るのはほとんどが、畑の作物と作物の間だ。


マリーゴールドは様々な植物と相性がよく、根の分泌液が土中のセンチュウを遠ざけ、葉っぱの匂いには防虫効果があることから、コンパニオンプランツとして畑の作物の間に植えられているのだ。わが家でもナス、キュウリ、トマト、ジャガイモなどの間に植えていた。2.3年前の枯らしてからやめてしまった。





先週も節目となる出来事が色々とあった。国会が召集され安倍さんが第98代総理に選ばれた。トランプ米大統領の訪日。プロ野球日本シリーズソフトバンクが日本一になどだ。新聞各紙はこれらの出来事に対して、当事者でない者の気楽さからだろうと思うが、勝手なことを書いているのが腹立たしくさえ思える。


国会が始まり、立憲民主党は党議員に対し、自民党から夜の飲酒の誘いがあっても断るようにという指示を出した。この件に、ある新聞はコラム欄で、国民のためを思えば酒をついででも国会日程で譲歩を引き出せばよい。今の野党に必要なのは、そういうしたたかさだ。と主張をしていた。



トランプ大統領訪日に際してのゴルフ外交について、きのうのコラム欄。蛮行を重ねる国のすぐ隣で2人がゴルフに興じるのは時・場所・場合のTPOを軽んじているのではないか。国際社会には悠長に映りはしないか。先の選挙で訴えた国難もその程度の話というわけではあるまい。と主張している。


どちらの主張も、確かにその通りかもしれない。正しい、間違いの問題でなく、そういう考えもあるだろう。そういうレベルの問題だと思う。「岡目八目」で第三者には、当事者よりもかえって物事の真相や得失がよくわかるかもしれない。それを、寄ってたかって、あぁでもない、こうでもないと無責任な主張を繰り返すメディアが気にいらないのだ。


組織のトップは、政治家にしろ、経営者にしろ、結果責任を負う覚悟で行動している。局面をよくしようといろいろ試みるのであって、決して私利私欲のために動いているのではないのだ。「報道する権利」「知る権利」は横に置いといて、「ちーと、静かにしてくれんかのう」。現役時代が蘇り胸くそ悪い。あっ、そうだ。「無視する権利」があるのだ。気に入らない報道は無視しよう。