1週遅れの開戦記念日に思う


日中は晴天。風が弱まり、寒さが和らいだ。きょう12月15日の誕生日の花はフユザクラとラジオ深夜便。本来の冬桜というのは、山桜と豆桜の交配種のことを指すのだが、最近では名前の通り、冬(10〜1月頃)に咲く桜の総称としても使われるようになった。また10〜1月頃と4月の2回開花期があることから、四季桜と呼ばれることがあるという。


その四季桜は豊田・小原の四季桜が有名でかつては毎年見物に行っていたが、最近はご無沙汰だ。最近は、近所の家庭でも、丘陵地の休耕田で植えられていてウォーキングしながらの花見も楽しめる。


先週の金曜12月7日は日米開戦記念日だった。今年のこの記念日、自分もあまり気に留めていなかったかもしれないし、76年目の今年は節目でもないこともあって、各メディアもあまりキャンペーンをしてなかったような気がする。


70年目の節目の年の同日のクマさんの日記ではこんなことをカキコしていた。「前略。 終戦記念日と並んで毎年この時期になると太平洋戦争に関する映画やテレビの特集番組が組まれる。今年は映画、山本五十六が上映される。きょうの中日新聞一面では「日本海軍の暗号方式が米で事前に解読されていた」記事が掲載されていた。」

8月15日の終戦記念日前後に毎度自虐的な一億総懺悔(ざんげ)のキャンペーンが展開されるのはもう、いい加減したらどうだ。開戦記念日前後に「なぜこんなバカげた戦を始めたか」的なキャンペーンが繰り広げられるのならまだ納得が行く。そして、現代史を学ぶことのきっかけとしてほしい。


日本が米国と戦争をしたってほんと?と質問されたり、英霊がイギリス人の幽霊と思われたり、真珠湾三重県と勘違いされたり、B29が柔らかい鉛筆に間違われたりと、笑えない笑い話が聞こえてくるご時世である。現代史は必須だ。平成の次の世を担う若者たちに安心して任せられるようにするために。