シクラメンと「想像の翼」


乾燥した晴天。風も収まり、日中の寒さは和らいだ感じだ。きのう12月19日の誕生日の花はシクラメンだった。この時季ポインセチアとならんでクリスマスには欠かせない花だ。そして、布施明歌うところの小椋佳作詩作曲「シクラメンのかほり」も欠かせない。


シクラメンのかほり小椋佳作詩作曲                          

♪ 真綿色した シクラメンほど / 清しいものはない / 出逢いの時の 君のようです / ためらいがちに かけた言葉に / 驚いたように ふりむく君に / 季節が頬をそめて 過ぎて行きました



この歌がヒットした30数年前だと思うが、酒席でシクラメンって香りのある花か?と話題になったことがある。リタイヤーしてからでも、ブログで香りがあったとしても「かほり」でなく「かをり」と表すのが本当でないか。東大法学部出身の小椋佳なんて奴はええ加減なもんだ。などとカキコしていた者もいた。


去年だったと思う。ある作家の「《シクラメンのかほり》の謎とき」と題するエッセーを読んだ。胸のつかえが治まった感じだった。その受け売り。その作家が偶然ネットで小椋佳の奥さんの名前を知った。佳穂里(かほり)さんだった。



なるほど、3番まで歌詞を読んでもシクラメンが香るとはどこにも云っていない。「シクラメンほど清しいものはない」「シクラメンほどまぶしものはない」と云っている。しかも、そのあとに「出逢いのときの君のよう」「恋するときの君のよう」とシクラメンが「君」に見立てられている。


小椋佳にとって妻の佳穂里さんは「シクラメンの君」であったのだ。ならば題名は「シクラメンの佳穂里(かほり)」とすればよかったのだ。香らないシクラメンの謎がこれで解けた。外交交渉も流行歌の歌詞も裏にあるものを読み解いてこそ真の意味が見えてくるのだ。





あらまし、そんなことを去年の日記にカキコしたところ、リタイヤー後大正村でお馴染みの岩村観光大使をしているK君(高校同級生で会社同期入社)からのコメントと、何かの機会に同席した際、詳しい話があった。


恵那市在住で明治生まれの伊藤孝重がシクラメンに魅せられ、その栽培に独学で取り組み昭和初期に成功させた。その後、自ら販路を拡大し、恵那を全国に誇るシクラメン産地に育てたとのことだ。


3年前のNHK朝の連ドラ「花子とアン」、今BSで再放送をしている。毎朝見ている。このドラマの中でよく使われるフレーズ「想像の翼」だ。どちらかといえば、自己満足を充たすために書いているこの日記だ。それを、たまたま読んでくれた人が、「想像の翼」を広げて反応してくれる。


「想像の翼」は、人類の幸せとかいった大きな夢でなくてもいい。自分の生き甲斐を通じて家族との穏やかな毎日を思うもいいだろう。「香らないシクラメン」の謎ときも「想像の翼」だろう。誕生日の花シクラメンが「想像の翼」を広げてこんなことまで想像力を広げる力を与えてくれた。