三好丘移住22年


きのう、おとといの黒い雪雲が去って、乾燥した冬晴れが戻った。城下町はすっかり正月モードに入り、ひっそり閑のわが家の界隈だ。レギュラーメンバーでのウォーキングもきょうから正月休み。日が高くなってからカミさんとロウバイ見物がてらのウォーキングに出かけた。



ラジオ深夜便によるときょう28日の誕生日の花がロウバイだからだ。丘陵の尾根筋にある知人宅。この宅のロウバイは毎年今頃からちらほらで1月中旬頃が見頃。今年はなぜか、写真を撮るような状態になっていない。トップの写真は、やむなく、3年前の1月13日にこの宅で撮ったものにとって代わった。
                               

名前に梅がついているから梅の一種かと思われがちだが、梅はバラ科ロウバイロウバイロウバイ属とのこと。半透明でにぶいツヤのある花びらがまるで蝋細工(ろうざいく)のようであり、旧暦12月に咲くからこの名がついたらしい。毎年このロウバイが咲いているのが「春近し」のシグナルとなっている。




先だっての土曜23日の天皇誕生日は、ここ三好丘に越してきて22年目のメモリアルディだった。天皇誕生日というシンボリックな日だからまず忘れることはない。今の陛下の誕生日もあと2回で終わることに一抹の寂しさを感じる。引っ越し記念日を忘れないためにも、別の形で祝日とか記念日を残して欲しいものだ。


振り返ってみれば、ここ三好丘での生活が生涯で一番長い定住地になりそうだ。文字通りの終の棲家になりつつある。大雑把に、生まれて22年は多治見(高校までの18年と社会人になってからの2年、豊田に家を建てるまでの仮住まい2年)4年は東京での大学生活、金沢10年、豊田18年、三好丘22年(内大阪単身5年)+α。



豊田から三好丘に越したのは豊田の保見団地の中に外国人が多くなり風紀が悪くなったこと、一家に5台の車を収容するスペースがなくなったことなどだった。このみよし市、数年前に住みやすさ日本一にランクされた通り「適度に田舎があり適度に都会がある」本当に住みよい都市だ。みよし市の中でも三好丘はリタイヤーして13年、周りの人たちもいい人ばかりでどっぷりとこの地に浸かりこんでいる。


そんなこんなであっという間に過ぎた22年。この先の22年なんて視界圏外だ。この歳になったらシュミレーション可能圏は長くても5年だろう。それだけに元気なうちにやりたいことをやっておかないという”あせり”みたいなものを感じる。その一方では、あと何年元気でおられるかなどと”不安”を感じる。あっという間に走りぬけた22年と”あせり”と”不安”だらけのこの先だ。


そもそもレースというものはスタートとゴールの地点が決まっていなければならないものだけど、人生レースにかぎってはデスマッチで死んだ時がゴールなのだ。だから、レースのペース配分が大変難しい。カギを握っているのは健康寿命だろう。


そうこうしているうちに、今年もあと残すところ3日で終わろうとしている。正月を家族と共に過ごしたくても叶わないふたりの仲間が病院のベッドで新年を迎えようとしている。ふたりの一日も早い恢復を思いやりつつ新年を迎えるとするか。