長生きよりどう生きるかに価値あり


厳しい寒さが続き、野や山に鳥たちの餌が少なくなっただろうか、庭にヒヨドリやスズメにまじってメジロがエサ台の熟し柿を目当てにやってくるようになった。メジロの表情豊かな愛くるしい目を観察していると飽きることがない。



入院中に読んだ雑誌に載っていた脚本家倉本聡氏のエッセーにこれから先の人生の示唆を得た感じがする。人生の後半をどう生きるか。これは人それぞれの価値観があって一概に決めつけることはできないが、ひとりの人間が誕生して、成長し老いてフェードアウトしていく中で、大切なのは長く生きることより、どのように生きるかということではないか。と氏は説く。



「健康」と「元気」は違っている。健康だけでは人生の最終目標にはならない。健康で何をやりたいの、長生きして何をやるの。老いることは誰もが同じだが、最後の一日まで、楽しく明るく過ごしながら生きた人が幸せといえるだろう。つまり、長く生きることより、どう生きるかに価値があるのだ。


入院中の束の間の至福のときをかみしめながら、思った。功なり名遂げた人が説かれる、価値ある生き方をするのは並大抵のことではない。健康であってこそ、最後の一日まで楽しく明るく過ごせるのだ。まずは健康で、その上で価値ある生き方を模索する。これは、難事だ。凡人は凡人らしく身の丈にあった、自分流の悔い残らない人生を模索すればいいと思う。それにしては、まだ時間が足りない。