友が語る「政教分離」


氷点下の朝でも、日中は風も穏やかで日差しにぬくもりが感じられる日になった。きょう2月9日の誕生日の花は寒ボケとラジオ深夜便。開花が11月下旬からのものと春のものと二種類あり、前者を寒ボケと呼ぶそうだ。名前の由来は実が瓜のような形であることから「木瓜」(もっけ)。これが「もけ」そして「ぼけ」に変化したとか。


花の色は赤、白、ピンクなどがある。わが家にも春咲きのボケがあった。秋にびっくりするような大きな実がなる。ウォーキングコースの遊歩道の植え込みに今寒ボケが咲いている。



町内にある神社が「存亡の機」(存亡の危機は誤用)だとたびたびこの日記にカキコするが、きょうもぜひ書き留めておきたいので・・・。高校の同級生で、裁判官を退官し埼玉県で公証人をしている友人がいる。毎年同窓会にわざわざやってくる。昨年その席での彼との話の中で神社の祭礼がやれないで困っているところが各地にある話になった。


今から8年前、北海道砂川市の市有地が地元の神社の敷地として無償提供されていることが憲法政教分離の原則に照らし違反しているという判断を最高裁が下した。このことに疑問を感じた彼が新聞に投書した。そのコピーを送ってくれたのだ。



かつて地元の神社の氏子役員をしていて、祭りの担い手がいなくなり、秋祭りと元旦祭は町内の行事として行うことを総会に提案したが政教分離を盾に否決された。別に布教活動をするわけでもなく、祭りは盆踊りをするのとどこがちがうのか、常々疑問に思っていたことに一石を投じた一文で胸のつかえが取れた思いだ。


彼の言い分はこうだ。各地で秋祭りや春祭りが行なわれる神社は宗教施設であることには違いない。しかし、今の神社は神主がいなくて地元民が氏子として神社を守り、祭りを主催しているにすぎない。この氏子集団が憲法上の「宗教上の組織」と言えるだろうか。教義もなく布教活動することもなく近所付き合いとして、お祭り行事をしている氏子集団を宗教団体と言い切ってしまうところにおかしさがある。



この判決に従えば各地の神社が撤去されて日本の文化が消えてゆく。日本のふるさとの原風景が消えてゆく。ゆゆしき判決である。と彼は結んでいる。友よ、よくぞ云ってくれた。かといって、コトが好転するわけでもないが、こういう同調者がいるというだけでも、嬉しいではないか。