メダリストたちへのエールの句


朝からどんよりとした曇り空が主役の一日。それでも、お昼過ぎからは雲がとれて青空も出てきた。きょう2月21日の誕生日の花はミツマタラジオ深夜便。この地域では3月中旬頃にならないと花は見られない。豊田の緑化センターでは黄色の花のものが、ウォーキングコースにあるあざぶの丘では、開発の際各戸の庭にアカバミツマタが植栽されている。


ジンチョウゲミツマタ属の低木。花は、蜂の巣がぶら下がったような形。枝が3本ずつ分岐するところからのネーミング。樹皮には強い繊維があり、和紙の原料になる。


「浜までは海女も蓑(みの)着る時雨かな」 滝瓢水(ひょうすい)


詠んだのは江戸時代の俳人だ。これから海に潜る海女が、雨を避けるために蓑を着て浜に向かう。どうせ海に入れば濡れてしまうのに、それでも、浜までは濡れずに行きたい。浜まで身を大切にする人は、最後の最後まで、生きるために力を尽くすのだ。これが美しい。海に入ってからもいい働きをするのだ。そんな意味が込められていると思う。



さらに、この句は日常生活の中で、いやそれだけでなく人生訓の意味合いもでもあると思う。学生時代を振り返ると、どうせ帰ってきたらまた寝るのだから、この方が合理的だと万年床だった。勉強をする雰囲気などまるでない部屋だった。

                                                    どうせ、リタイヤーしたんだから・・・老い先短いんだから・・・これがよくないのだ。死ぬときまで、とにかく蓑を着る。日が照り続けば日傘をさす。最後の最後まで、少しでも美しく立派に生きる努力を重ねていくべきだということが含まれているように受け止められる。



平昌五輪も20日までで日本は10個のメダル。連日新聞、テレビで報じられるメダリストたちの、美談、奮闘記、秘話、人情話を見聞きするたびに、「あぁ、彼らは皆雨が降ったら蓑を着て浜に出たに違いない」そんなことが脳裏に浮かんで来るのだった。


この句は、逆境や失敗を糧にしてメダリストとなった彼等へのエールなのだ。