幸福の感じ方


晴天続きの週末だったが、お日様マークのない彼岸ウィークの幕開けは予報通り雲が主役。時折、思い出したように小雨の降る空模様だ。おかげで、レギュラーメンバーでのウォーキングも雨中行軍でコース短縮だ。


ラジオ深夜便によれば、きょう3月19日の誕生日の花はシダレザクラだ。この名は枝が柳の葉のように垂れ下がっている種類の桜の総称だそうだ。ソメイヨシノの寿命が60年と云われているのに比べて、シダレザクラの寿命は300年と云われている。代表的なシダレザクラのベニシダレが3月下旬が見頃であることからきょうの誕生日の花に選ばれただろう。


写真は名古屋市守山区にある名古屋市最高峰東谷山(標高198m)の山麓にあるフルーツパークのシダレザクラだ。11年前の4月12日に撮ったもの。毎年シダレザクラ祭りを行っている。11年も前のことでよく憶えていないが、ここのシダレザクラヤエベニシダレザクラのはずだ。




この週末は年度末とあって総会が続いた。土曜日は人口3千人の町内会。日曜日は会員110人の老人会。29年度は町内会の組長の役だった。23人の組長の最高齢者だった。そのお役が終わってほっとした。老人会は3年無役で来年31年度は廻ってくる順番だ。


リタイヤーしてやっと煩わしいしがらみから解放され、これから自分の好きなことができると安堵したものだった。自由な時間の内の1割や2割は”世のため他人のため”に関わらなければと地域の色々な組織のお役を頂戴した。1割や2割の配分のつもりが大きなウェイトを占めるようになった。
                                       



家庭のことや自分の好きなことへの時間配分が少なくなった。カミさんからはいいこと云われない。自分もやりたいことが存分にできない。”世のため他人のため”が生きがいの人はそれでいいが、自分はそういうことはある種の”税金”だと思っている。自由時間という収入に対して税金の占める割合が多くなれば面白くない。


なんで、俺がこんなことまでしなきゃいかんのだ。愚痴のひとつも云いたくなる。不幸を実感するのはたやすい。平日は、毎日のブログ更新を自らに課していることもあって、毎日何かに追いかけられているような生活の中で幸福を実感するのことにきわめて鈍感になっているだけかなぁ? そんな気もしないでもない。