引き際の決断


週明けの月曜。おそらく、梅雨入り前の最後の清々しい青空の日だろう。それほど汗もかかずに農作業に精が出せる貴重な日だ。午前中張り切った。きょう6月4日の誕生日の花は睡蓮とラジオ深夜便は伝える。きのうの中日新聞日曜版の大図解シリーズは「モネの庭」を特集していた。フランス印象派の巨匠モネといえば睡蓮を連想するほどの画家だ。


今シーズンは近所の舟ヶ峪池の睡蓮を二回もこの日記にアップしているが、ラジオ深夜便花言葉は「清純な心」と云っていた。去年撮ったものながら、その花言葉に一番近いイメージなのであえてアップした。



先週だったと思うが、茅ヶ崎市で90歳の女性が運転する車が歩行者をはねてひとりが亡くなった。痛ましい限りだが、加害女性は認知機能検査で問題がなかったそうだ。免許返納も考えていたが、家の近くならば、週に一、二度ならばとずるずるときてしまっただろう。「引き際を決断する勇気だ」と言うは易く行うは難しだ。


儀礼的な年賀状、喫煙、車の運転をはじめとして日常生活の中で「引き際の決断」を迫られる機会が、自分の年代になると実に多い事に改めて気づかされる。やっかいなことに、体力や気力の衰えは人それぞれで本人にも正確にわからないことだ。



会社の同期会や学校の同学年会然りだ。会社の所属毎のOB会や出身校毎の現役・OBの交流会。学校の同窓会などは後輩が続いているから彼らが世話役をやってくれるから心配ない。同期会や同学年会はみな同い年だから年々困難が伴ってくる。60人近い同期会は既に解散。親しい仲間毎に月一の飲み会をやっている。


高校の同学年会(通称同窓会)は古希を迎えた年に「引き際」の話も出たがとにかく喜寿までやって・・・となり昨年喜寿だった。その間今年まで450人の卒業生のうち毎年100〜120人の出席者だ。この分だと80歳の傘寿(さんじゅ)の年が「引き際の決断」の年になりそうだ。「自身の引き際の決断」さえ難しいのに、みんなのそれを決めるのはなお難しい。救いは、みんな利害関係がないことだ。