オウム死刑執行に思う


真夏を思わせる青空と夏の雲。週が明けて、この地方の梅雨も明けた。それにしても、岐阜県飛騨、奥美濃、中国・四国地方の豪雨の被害は酷い。いつ、どこで発生するかわからない「線状降水帯」とやらの傘下にわが家が建っているか否かで人生がまるきり変わってしまう。自然の脅威を改めて感じる。


きのう7月8日の誕生日の花はグラジオラスとラジオ深夜便。6月下旬から8月頃にかけて開花。長い穂先に、上から下までズラッと花を咲かせる。花は片側だけにつくものが多い。この地では家庭の庭より丘陵の畑で咲いているのを見かける方が多い。あやめ科グラジオラス属。唐菖蒲(とうしょうぶ)、唐(中国)の菖蒲ということからの別名もある。



先週も色々なことが起きた。オウム真理教による一連の事件の死刑囚13人中7人の死刑執行が6日に行われた。メディアの論調、識者の評価などを最大公約数でいうとこうなるのではないかと思う。平成になって始まった一連の事件。平成も、もうあと1年を切ったからこの辺でピリオド。刑事事件としては死刑執行して終わるが、社会問題としての検証がなされているか問題が残る。


例えば、医師や科学者らをはじめとする有為な若者が、殺人もいとわない教団から勧誘され、洗脳され、離れることが出来ずに行動する。何せ、世界を震撼させた毒ガステロ事件なのだ。そうした構図が検証され知見が共有されてこそ、二度とこのようなことが起きないための備えではないか。ごもっともだ。


クマさんは思った。国家権力のこうしたコトの収め方はモリカケ問題とも根が同じだ。国家権力とモリカケとの間に証拠として残るような金品の授受はない。刑事事件としては成立しない。しかし、社会問題としては行政の公平性、透明性が歪められたとの訴えがあれば、それを反証するだけの検証がされ知見が共有されなければならないと思う。