サンマタイム


先週末からお盆ウィークに入った。民族大移動、街の中はひっそりと静まり返っている。きのうは静まり返っている街に雷ゴロゴロ、久しぶりの雨。


小学校低学年の頃だ。「まだ明るいのにもう寝る時間か」そんなことを思いながら床についた記憶がある。小学校1年の時から3年か4年頃までの間だったが、時計の針を1時間早めるサマータイムだった。当時は、サンマータイムといっていた。普段は「サンマタイム」といっていた記憶がある。米軍占領時代のことだ。



日本もどうしてサマータイムの制度が導入されたかは、欧米では当たり前の制度で占領軍からの命令だったのだろう。次女一家がフランス赴任時代、スカイプ(パソコンによる無料画像電話)で話をしていた当時も、「来週からサマータイムだからね」と何の抵抗もなく受け入れていたようだった。


1948年から始まった日本のサマータイム制度が4年間で終わった理由は、新聞の報道によると、5〜9月の標準時を1時間早めたが、終業時間が変わらない職場が多く、国民の不満が募った。ということらしい。その後省エネ対策等でサマータイム導入案が浮かんでは消え、今度は五輪暑さ対策で俎上にあがった。




総論賛成、各論反対で結局見送りになる公算が大きいと思う。総論的には合理的な制度で大変けっこうだ。各論では、世の中のシステムのIT化がこれだけ進む中、その変更と問題なく動くかのテストに膨大なカネと時間がかかる。西暦2000年になった時の、「2000年問題」以上の対応が迫られるのではないだろうか。


五輪パラという国民的行事を成功させるためという趣旨はよくわかるが、そのために国民生活を混乱させたり、システム変更に膨大なカネと時間を費やしては本末転倒だと思う。一方で、台湾が高速道の出入ゲートをなくし渋滞を解消させるシステムを導入したように、「できない理由」ばかりを議論しているから、なにも改革されない。そんな意見もあろう。それに対しては、日本は途上国と違い成熟国と反論したい。