八月や六日九日十五日


「八月や六日九日十五日」。この現代俳句、何を詠んでいるかわからない。まさかそんな若者がいるはずがないと信じたい。きのうで、8月のメーンイベントは済んだ。あとは高校野球だけだ。天気予報では、すでに秋雨前線の「秋」の字が飛び交う時節になってきた。


クマさんの日記も2006年6月にスタートして今年で13回目の「八月や六日九日十五日」を送ったことになる。きのう8月15日で、PV(ページビュー)、付き合ってくれた人の回数が102万回になった。おつきあいいただいた皆様に深く感謝しています。



諸行無常。73年前はおろか去年・おととしの終戦記念日と比べてさえ、世の中大変な変わりようだ。おととしの終戦記念日、開催中のリオ五輪の折り返し点の日。世の中沸き返っていた。それにひきかえ、去年の終戦記念日。トランプ米大統領北朝鮮の言葉の応酬は、字面を見るにつけて一触即発だ。飛び道具が上空を飛んで行くとなれば安閑としておれまい。




飛び道具が中四国地方の上空を通過するということで、迎撃ミサイルを4基配備したことをテレビでやっていた。そんな不穏な空気が漂っていた。それにひきかえ、今年の終戦記念日トランプ大統領の遠吠えが聞こえはするが、国内的には自民党総裁選も静かなものだ。気象災害ばかりが心配される今年の終戦記念日だ。


夜、NHKスペシャルで「ノモンハン責任なき戦い」を放送していた。このノモンハン事件は情報を軽視した楽観的な見通しや、物量より優先される精神主義など、太平洋戦争でも繰り返される“失敗の本質”が凝縮されていた。この敗北はどのようにして隠され、失敗は繰り返されたのか。に迫っていた。


たかが、ただの「八月や六日九日十五日」の一句。されど、奥行き深く色々と考えさせられることの多い「八月や六日九日十五日」