人生が二度あれば


きのうに引き続き、照ったり、降ったりの汗ばむ残暑だ。きのうもきょうもラジオ深夜便は北海道の地震関連番組ばかりで、誕生日の花はやらなかった。NHKラジオのホームページで調べた。きょう9月7日はコルチカムだとか。5.6年前まではわが家の庭で、彼岸花の咲く時季になると咲いていた。


画像は7年前の10月7日のもの。亭主と同様晩生のもののようだ。紫がかったピンク色の花だ。垣根の山茶花の間から柔らかな陽射しがコルチカムの花に差し込んでいる。秋の爽やかな風が陽射しを揺らしコルチカムの花を濃い紫色にしたりピンクにしたりして2倍楽しめる。


元来ものぐさなな我が夫婦にぴったりの花だと球根をいくつも手に入れた。開花には土も水も必要ないというふれこみだった。数年の間にたった1株だけになってしまった。最後の1株が秋の冷気を感じて目を覚まし花径をニョキニョキ伸ばして咲いている。



あさって9日の日曜に17日の敬老の日に先駆けて公民館で敬老会がある。地域の町内会主催で地元のバンドの演奏会が出し物。65歳以上を招待すると公民館に収容しきれないので、数年前から75歳以上になった。今年は60人出席するようだ。クマさんも一昨年から招待者の仲間入りした。


井上陽水の歌に「人生が二度あれば」というのがある。しんみりさせられる歌だ。長い歌詞だからほんの一部だけを抜粋。♪母は今年9月で64/ 子供だけのために年取った/ 母の細い手/ つけもの石を持ち上げている人生が/ だれの為にあるのかわからない/ 子供を育て/ 家族のために年取った母/ 人生二度あれば/ この人生が二度あれば


カミさんの実家に行くと帰りがけに母親が、嫁に隠れて娘であるカミさんにこっそりと小遣いを渡すのだ。娘が60過ぎても子供は子供だと傍で見ながらそう思っていた。94歳で旅立った母親の人生が二度あればもっと楽させてあげたいと娘であるカミさんはいつもつぶやいていた。


ゲームならリセットボタンでやり直しもきくが、人生にはリセットボタンがない。どんなに悔やんでももう二度と戻れない。今日という日は二度と戻ってこない。だから一日一日を悔いの無いように生きよう。坊主の説教みたいになってしまった。